ごはんが好き!
近年、〝ご飯(米)〟を食べる機会が減ってるそうです。
かくゆう私も、最近はご飯を食べる機会が減ってる気がします。
パン、うどん、そば、パスタ、ビーフン(米だけど)やきそば等、お米以外の主食のバリエーションが増えてますし、美味しいし。
ご飯を食べるまでに〝炊く手間〟もあるんですよね。しかも、ちゃんとおいしく炊くなら、水に浸して1時間とか時間が掛かる。
ずいぶん子供の頃から、朝ごはんはパンでした。
中高生くらいからでしょうか、朝ごはん用に母親が買ってきた菓子パンを毎朝食べるのが習慣でした。
でも、近年知られ始めてますが、グルテンは体に良くないって騒がれてますね。
昔はそんな事言われてなかったですから普通に食べてました。
成長期にパンは良くなかったのかもしれないけど(笑)
まぁ、フツーにそこそこの身長で、今のところグルテンが原因だと思われる病気はしてないと思うんですが……。
パンとご飯でどちらが好きかと言うと、〝食事〟なら断然ご飯が好きです。
焼肉にご飯とか最高ですね。
ほかほか白ごはんは勿論、雑穀米、おこわ、ちまき、……赤飯とおはぎは、あんまり好きでは無いんですが。
お新香とご飯、お味噌汁とごはん、海苔とごはん……こーゆうシンプルなのが一番好きです!
和風なおかずが好きなのも理由です。
煮物、すきやき、などの醤油系も好きだし。鰹節と醤油を掛けただけの、〝ねこまんま〟も好き。
うーん、愛しのごはん…。
炊くのが面倒だったり、ダイエットで食べないようにしてたりして、食べる量も機会も減ってるんですけどね…。
さて、そろそろ本題に入ります。
おむすびの日とは?
おーむすびおーむすびちょっと詰めて♫
…ってこれ、おーにぎり、か(笑)
おにぎりの日、もあるそうですが、今回は〝おむすびの日〟。
〝おむすびを食べよう!〟という明るいだけの日では無いようです。
1月17日は、阪神・淡路大震災の日。
この出来事を背景に、おむすびの日は出来ました。
おむすびの日
【 ごはんを食べよう国民運動推進協議会 】1月17日は、阪神・淡路大震災の日。
食べ物もなく、不安のどん底にいた被災者は、ボランティアによる炊き出し(おむすび)に助けられました。
この大震災での体験をきっかけに、「ごはんを食べよう国民運動」がはじまりました。
いつまでも食料とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、ごはんを食べよう国民運動推進協議会では1月17日を「おむすびの日」と定めました。
(2000年に日本記念日協会登録済)
1995年の震災から20年以上が経過した今こそ、あらためてボランティアの善意、食料や危機管理の大切さを考え直していただけたらと思います。■応募期間
2018年1月4日(木)~1月31日(水) 24:00までの応募有効
■賞品
抽選で100名様におこめ券(880円相当分)をプレゼントします。
阪神・淡路大震災
wikipedia
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害のことである。
キャンペーンをやってたので、是非それも紹介したくてそのまま引用してしまいました。(笑)
おこめ券が当たるそうなので、是非申し込んでみてください!
阪神大震災が23年前
平成7年、阪神大震災が起きました。
その時私は9歳。東北に住んでました。
その日自分がどんな風に過ごしたか、どうやってその出来事を知ったか、覚えていません。
高速道路が横になってる画は記憶にあるけど、9歳の時に見たものなのか、大人になってから見たものなのか解りません。
全然現実感が無くて、「そんなこと起こったの?」と、別世界での出来事のようでした。
そんな私は、東北の震災に遭いました。
被災地に居たから解るのですが、被災者と被災されてない人には、大きな大きな壁があると思いました。
いや、心を震わせてくれる人と、くれない人には大きな壁があると思いました。
でも、心を震わせ無い人は悪い人なのか?
私は、そうは思わなかった。
9歳の頃の自分が居たからかもしれません。
現実に起きてみないと、誰がどんな行動を起こして、どんな風に感じるかは解らない。
その人の本当の姿が一番解る時だと思います。理性で制御し成り立っている〝人間〟という動物の、〝理性〟を越えて最も〝動物〟に近い瞬間だと思います。
阪神大震災、その時はどんなだったのだろう。
自分が想像してみても、どうもうまくいきません。想像は経験から広がり造られると思うのですが、応用が利かない〝経験〟なのかもしれません。
その場にいて直面しなければ解らない事がある。直面しても、沢山の人の直面した恐怖は人それぞれで、まとめることなんて出来ません。
おむすびは、東北の震災の時にも振舞われた。
さて、話が逸れてしまうのかもしれませんが、私は私の経験した〝被災〟がありますので、その時のことを思い返してショートストーリーを書いてみました。
たしか、おむすびとお味噌汁が振舞われたと思います。
被災から2日目くらいだったでしょうか?テレビから流れてきた情報を元に、市の施設へ行きました。
そこではボランティアのおばちゃん達が炊き出しをしてくれていました。
知らない人の笑顔が苦しく思えた時でした。
きっと、それぞれのストーリーがあって、それぞれの考えかたで、それぞれの感じ方があったと思います。
それは、当人にしか解らない。
だけど、あの時あの場にいた〝同じ釜の飯を食った〟おなじおにぎりは、きっと同じ味だったはずです。
同じ記憶のはずです。
3月11日には、この話をもう少し掘り下げて書きたいと思っています。