※今回の画像は、ぱくたそ(フリー素材)での『健康的な中年男性が飲む青汁とミネラルウォーター』企画からお届けします。
当たり前だけど自分の事を理解できるのは自分しかいない。
…しかし不思議なモノで、自分でさえ自分の事を理解できない事は多々ある。
『どうしたら良いんだろう?』迷った私は、ググったり本を読んだり宗教について調べたり哲学に興味を持ったりした。
目次
『自分が解らなくなったら?』色々な考え方
- そもそも自分の事を理解している人は居ない
- 自分の事を理解しているのは他人
- 自分というものは無く、自分が行動した結果が『自分』となっている
- 自分の身近にいる5人が、自分を作っている
- 誰にも頼らないというのが良くない。人は必ず誰かに頼っているのだ。
- 誰か一人に頼るのは依存だ。沢山の人や物に依存すれば、つまりそれは依存では無い。
- 自分なんてモノはそもそも無い
- 神を信じる
- 信仰は人を成長させる
上記はどれも、結局のところ『何に依存している』と思う。
ほとんどは『何かに依存する』という考え方だ
- 他人に依存する。
- 趣味に依存する。
- 沢山の人に依存する
- 『依存する』人や物を増やす。
- 神に依存する。
- 信仰に依存する
- 青汁に依存する
これって結局どれも、何かに依存してるんじゃ無いか?と思った。
なんとなく違和感を覚えた私が辿り着いたのが、『心の声を聞く方法』だった。
心の声を聞く…何て言うと、胡散臭くて騙されそうでスピリチュアル的な感じでヤバそうにも思えるけど(笑)。
少なくとも、お布施を回収しようとしたりはしない。
お布施を欲しがるとしたら自分自身だから、結果的に自分に還元する。(たぶん)
つまり、『自分に依存する』という考え方
私が最近感じるのは、果たして『自分自身とだけ向き合ってきた人』がどれぐらいの比率で存在しているのだろう?と言う事。
私が思う『自分自身と向き合ってきた人』を少し上げてみる。
・イチロー
・ほりえもん
・ひろゆき
いま思い浮かぶのはこれくらいしか居ないが、もっと沢山いると思う。
イチローは『野球に依存している』と言えばそうかもしれないが、最終的な部分を『自分と向き合う』事で解決してるように思うから『自分自身と向き合ってきた人』とする。
大抵の人は、自分と向き合う事が出来ない。
最終的な判断を、『世間体』や『親の視線』、『地域のルール』、『法律』で決めていると思う。
勿論、法律が要らないとは思わないが、法律とは、人同士が心地よく生きるためのルールだと思う。
法律が無ければ無法地帯になってしまうので必要だとは思う。
しかし時には法律が人の自由を縛る。解りやすい例としては、「再婚禁止期間は100日」だとかだ。
…ちょっと話が逸れてきたので戻す。
自分を探すためには自分の中を漁るしか無い
結局のところ、『自分を探すためには自分の中を漁るしか無い』というのが私の結論だ。
よく『自分探しの旅に出る』人がいるけど、どこかに旅行に行っても、なかなか見つからないと思う。なぜなら、旅行に行った事で満足するからだ。
ただ、『自分と向き合う時間を取れる』という意味では有効だと思う。
それはつまり、他人の声を遮断するという事だ。
まだ見ぬ誰かと出会うためでは無い。知らない事を経験するためでは無い。
自分と向き合うというのは、自分について考えると言う事。ただひたすら、自分を理解すること。
『自分と向き合う』とは、『自分の感情を知る』と言うこと
自分の感情を知る、というのは、簡単なようで難しい。
怒ったり笑ったり喜んだり泣いたり。
こういった感情表現を使いこなせる人はスゴイと思う。
私にとっては、それはかなり難しい事だ。
なぜなら、そもそも自分の感情が解らないからだ。
なぜかモヤモヤして、何かが引っかかって、後からジワジワと時間を掛けて気づく。
酷いときには、気づかないまま過ぎ去っていく。
常に誰かの顔色を伺って、誰かの意志に合わせて生きてきた報酬に、私は自分の感情が解らなくなってしまった。
自分の感情よりも先に相手の感情を読もうとしてしまう。『この場所が好きなんだな』『この味は嫌いなんだな』
自分よりも、誰かの感情を読む方がよほどラクで簡単だった。
自分と向き合わなくても死にはしない。
ところで、こんなに『自分と向き合う事とは…』なんて書いているが、別に自分と向き合わなくたって死にはしない。
だからこれは、誰かに『だからお前も自分と向き合え!』と言いたい訳では無い。
むしろ自分と向き合う事によって、人生が辛く大変なものになる可能性もある。
世間体に従って、法律を守り、親の気持ちを尊重して生きていったほうがよほど気が楽だと思う
。
だから世間にはそんな人が沢山居る。
そのほうが、自分の汚い部分を直視しないで済むから。
世論を語っていれば、ある程度『マトモな人』っぽく見えるからだ。
全体的な生活水準が向上してきて、もはや『モノ』に価値を見いださない時代に入り始めた。
モノでは満足できない。
マズローの五段階欲求で言う『自己実現の欲求』だ。
生理的欲求を確保され、安全を確保し、社会に認められたいと願い、可能ならば崇拝されたいと願い
それでも『何かが違う』と気づき初めて、『私ってなに?』という疑問に立ち返る。
自分を実現するのは、自分しか居ない。
つまり、自分のやりたいことや感情や向き不向きは、自分で見つけるしか無い。
自分で見つけたものこそ、本物の自分だと思う。真実の自分をさらけ出す為に、自分の感情を見つけ出す。
…結局なにが言いたいのか解らなくなってしまった。
ただ、自分と同じように迷っている人に届けば良いなと思う。
そしてあわよくば、誰かの手助けになればと願う。
…結局わたしは、いつか訪れるかも知れない『誰か』に、依存しているのかもしれない。