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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

居心地の良さとは結局のところ『人』に直結する

居心地の良さとは結局のところ『人』に直結する。

居心地の良い場所を見つけた。
端っこで、具合が良くて、落ち着く場所。
だけどふと隣人が移動していき、また新たな隣人が現われた。
隣人はテーブルに書類を広げてイヤホンを着ける。
広げた書類を見たり見なかったり、遠くを眺めたり私のテーブルへと意識を注いでいる。

なんだろう?と覚えた違和感は『相手の集中度』。
隣人は確かに書類をひろげている。ときどき思いついたかのように書類にマーキングしている。
しかし数回テーブル上へ視線をやると、またすぐに遠くを眺めたりと集中しない。
それまで集中力があった私は、一気にやる気をなくしてしまった。

と言うのも、隣人の『気配』がどうにも気になる。
書類を置いているのに書類に意識がいってない。

その原因をなんとなくでも予想しないと落ち着かなくなってしまった。

自分のテーブルを見られてるような気持ちもある。

見られてるとすれば私の取り組んでいるものに対してどう思っているのか?
わたしの取り組んでいるモノにどんな感情を抱いているのか?

結局のところその原因は解らないまま(当然だが)、どうにも私自身も集中できなくなってしまったので移動することにした。

帰り際に解ったのだが、イヤホンからラジオか何かを聞いていて、言葉の類いを楽しんでいるようだった。

ときどき微笑み、ときどき笑いを隠すように下を向き、平静を装って遠くを眺め、自分が他人にどう見られているか気になって周囲を伺っている。

おそらく私も同じタイプだと思った。

わたしも、周囲を気にして様子を伺っている。

ヘンな行動をしてる人は居ないか、自分を気に掛けている人は居ないか。

周囲を気にするのは、いちおう『いつでもすぐに逃げれるようにするため』であり、ある意味で自己防衛だ。

しかし世間を見る限り、そういったことを頻繁にしてる人はそう居ない。

私は人と比べてとても繊細で注意深く小心者なのかもしれない。笑

居心地の良さとは、結局のところ『人』に直結する。

空間では、安心して過ごしている人たちがそういった『落ち着く空間』つまり『居心地の良さ』を作ってくれているのだろう。

わたしは周囲を気にするタチだから、きっと『居心地の良い空間』を作る『ひとり』には なれないのかもしれない。(笑)

私のように周囲を気にする人間同士は、少なくとも隣り合ってはいけないと感じた。

お互いにお互いの行動や気配を気にして、落ち着かなくなるからである。笑

結局わたしは移動して、他の場所へと動いていった。

隣人は私の場所へと移動して、隣人は隣人で落ち着いた空間を手に入れたようだった。

さあ私はどこへと旅に出ようか。

居心地の良さとは、結局のところ『人』に直結する。

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