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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

天邪鬼な人/あまのじゃくになった理由

私は天邪鬼(あまのじゃく)だ。

天邪鬼(あまのじゃく)とは
わざと人に逆らう言動をする人。つむじまがり。ひねくれ者。

引用:Goo国語辞典より

自分が天邪鬼だと言う事に、なんと最近気が付いた。笑

天邪鬼になってしまったのは何故だろう?考えてみた。

天邪鬼になった理由

天邪鬼になった理由①否定ばかりされてきた

天邪鬼になった理由1つ目は、否定ばかりされてきたと言う事。
そもそも生まれながらに天邪鬼な訳が無い。さすがに赤ちゃんの頃は純真無垢だったはず。
それでも天邪鬼になってしまったのは、ある程度の原因があると考える。
その1つが『否定されてきた』という事。
否定ばかりされると、『どうせ私が何を言ってもダメだ』と自信が無くなる。
と言うか、否定されることに慣れてしまうと、知らず知らずのうちに自分も他人に対して否定的なことを言いたくなるものだ。

天邪鬼になった理由②否定する事が普通のコミュニケーションだと思っている。

天邪鬼になった理由2つ目は、否定する事が普通のコミュニケーションだと思っている場合。
あまりに否定されて育つと、否定する事が普通のコミュニケーションなんだと勘違いする。
一度身についてしまった習慣などは直すことが難しい。
ついつい相手の言う事などを否定してしまい、本心とは違うことを言ってしまう。

天邪鬼になった理由③自分の本心が解らない。

天邪鬼になった理由3つ目は、自分の本心が解らない場合。
①、②を経た場合、何はともあれまずは『相手を否定する』から入ることが通常になってしまい、そうこうしているうちに自分の本心が解らなくなる。
自分の本心が解らないと、ただの反射として〝天邪鬼な態度〟が現れてしまい、ずっと後になってから後悔したり、『なんであんなことを言ってしまったんだろう』と自己嫌悪することになる。

天邪鬼になった理由④恥ずかしい・照れ屋

天邪鬼になった理由4つ目は、恥ずかしい・照れ屋な場合。
自分の本心や〝本当はこうしたい〟と言う願望が強烈にあるのに、自意識が強すぎるために恥ずかしくて本心を伝えられない。
その結果、わざと天邪鬼な事を言ってしまったりする。

結局、傷つくのが怖いから?

色々考えてみて、結局のところ自分が傷つくのが怖いから、天邪鬼な事を言って自分の心を守っているのかもしれないなぁと思った。

最近になって自分が天邪鬼だという事に気が付いたのは、とあることがキッカケだ。

Twitterで何か面白い人や物が無いモノかと検索しているうち、なぜか反射的に〝ムリ〟と思って避けてしまうパターンがある事に自分で気が付いた。

何回かそうゆう人が続いたときに、『なんで自分はこんなに無理だと思う人が居るんだろう?』と思った。

〝ムリ!〟と反射的に避けてしまう理由を突き詰めて行くと、避けたいと思ってた人が実は自分にとって『羨ましい人』だという事に気が付いた。

ある一定の層だったり発言に対して、強烈な『羨ましい』と言う感情が湧いて、直後に『自分には似合わない』と否定していた。
羨ましくても一生自分にはなれそうにない相手を〝羨ましいなあ〟とただ指を咥えてみているだけと言うのは辛すぎる。
だから無意識のうちに『ムリ』と言う感情が湧いてスルーしていたようだ。

……そのことに気が付いたとき、『あぁ、私は本当はそんな風にもなりたいんだな』と自分の気持ちが少し理解できた気がした。

結局のところ自分には なれそうに無いし、相手に対して『ズルい』と言う感情も沸いているらしい。

本当は自分もそんな風に振舞いたいのに、誰かに〝ズルい〟と指摘される事が怖くて勇気が出ない

自分が〝羨ましい〟と感じるところへただ進んで行ったら、その先には一体どんな事が待っているのだろう。

結局のところ怖くて、きっと踏み出せないのかもしれない。

・・・・・・そんな事を思いながら、今日のところはここで終わる。

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