365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

【交友関係が狭い】育ち?トラウマ?【共依存?】

★生きづらい、息苦しい、自立できない

最近『自立』を目標にしている私。

わたしはどうも依存的な性格がある。

普通に生きてれば、通常、友人や先輩や後輩など、たくさんの人と関わってくだろう。

しかし、私の交友関係はとても狭かった。

・・・と言うのも、幼少期かなりの人見知りだった。

トラウマ?

そんな中でも、母と祖父はとりわけ私を可愛いがってくれた。

しかし祖父は酔うと本心(?)が現れやすいタイプで、それまでは『酔い祖父』だったのが
突然しつこくなり、私を溺愛し、私が逃げれば追いかけ回した。

そのころの私は、たまたま『人見知りの時期』だったのかもしれないが、大勢の人が集まった時は、まず『知っている顔』として祖父を選び、だっこされていた。

そんなわたしを見て、周囲は『おじいちゃんが大好きなんだね』と祖父に声をかけた。

祖父もそう言われた事がうれしかったのだろう。『そうだ。この子がおじいちゃんの事が大好きなんだよ』と。

いまこうして書いていてなんとなくその様子を思い出した。

きっかけはいつだったか忘れたが、いまでもハッキリ覚えているということは、もしかするとトラウマだったのかもしれない。

酔っていない状態であればとても良い祖父だったが、なにせお酒がだいすきだった。いま思えばそのころからすでに祖父はアルコール依存症だったのかもしれない。

ひんぱんにお酒を飲んでは酔ってしまい、酔ってはわたしを追いかけ回して、わたしが逃げても周囲は笑うくらいで、本気でとめるようなことは無かった。

だっこされるような年齢のころからそれは始まり、小学生に入る頃になってもまだ続いた。

わたしはいつしか祖父がイヤになり、祖父の家にいくのもおっくうな気持ちになっていた。

『いやだ』と言っても『どうしてだよぉ』と大人の男性が自分にしつこく言い寄り執着する様は、子供ながらに気持ちが悪くて怖かった。

母は『嫌がってるんだからやめなさいよ』と口では言うものの止めにはいることはなかった。

いや、もしかすると止めにはいってくれたのかもしれないが、わたしの記憶にほぼ記憶がないので、充分ではなく、心の傷は癒えてなかったのだろう。

思えば、そのころからすでに私は『男性がきらい、こわい、めんどくさい、しつこい、うっとうしい』と認識していたのかもしれない。

幼稚園、小学校と上がったが、わたしはいつしか母にべったりになっていた。

もともと私がそうゆう性格だったのかどうかは解らないが、べったりなわたしを母はとても喜んでいた。

ときどきうっとうしがることはあっても、それでもカワイイと思ったのだろう。

知らず知らずのうちに母も私にべったりになっていた。

交友関係を制限される、母とばかり遊ばされる

小学生くらいになると友人ができはじめたが、友人と遊ぶことを母は良しとしなかった。

『危ないよ』とか『大丈夫?』といつも心配し、友人を家に呼ぶことを拒否した。

人の家に遊びにいくことにも良い顔をしなかった。

『あのこの家のおかあさん、こんなこと言うのよ』

『なんか比べられてるからイヤだわぁ』

『どうしても許せなかったからわたし言ってやったわ』

『大変だからあの子と遊ばないでほしいなぁ』

そんな風に言い聞かせられて、わたしは次第に友人とは距離をとるようになっていた。

友人の家に遊びに行くことも許されず、次第に夜遅くまで遊ぶような年齢にも入り始めたが、それも良しとしない。

友人の家でのお泊まり会なんてもってのほかだった。

同い年の友人達がお泊まり会で盛り上がっている頃、わたしは母に許して貰えず家から出れずに、おもしろくない思いをし、悲しくて泣いていた。

休日開けに学校へ行けばとうぜん会話はそのことが持ちきりで、『くれば良かったのに〜!』と嫌な顔をされる。

『だってお母さんが』と言っても、友人にそんな事情がきちんと伝わる訳がない。

『同じ年なのにダメなの?人の家に泊まるだけなのにダメなの?』と言われてしまう。

そう聞かれたって、わたしも反論することが出来ない。

まさか『あなたの家のことをお母さんが悪く言ってて、泊まったらダメって言った』なんて事は言えるわけもなく、ひとり我慢して落ち込んだ。

母はそんな私を見て、『あの子じゃなくて○○ちゃんだったら良かったけど』とか『あなたぐらいの年齢でお泊まり会なんて出来るわけないでしょ?』『親御さんに挨拶しないといけないとか大変なの。勘弁してよ』と弁明した。

『お母さんと今度いっしょに旅行に行けばいいでしょ?そのほうが楽しいわよ』
『ディズニーランドに連れて行ってあげる』

そんな風に交換条件を出して私の気を紛らわし、問題をすり替えて、自分の言いなりにコントロールしていった。

母は、わたしと友人の関係よりも、母と友人の母とのつきあいや挨拶を面倒がり、ときに私へ愚痴をこぼし、『あの子とは遊んじゃいけません』とか『友達は選んで』とか『変な子と遊ぶのはやめなさい』などと言って、制限した。

友人関係をうまく築けない。孤立

そうこうしているうちに、私も友人との関係をうまく築けなくなっていって、苦手意識がつよくなっていった。

同じ年齢でも、友人同士の関係性が全然違う。

家に泊まりに行ったりし合うような中で培われた友人関係は『人間として成長』していったのだろう。

気づけばわたしはほかの人よりも遅れをとっていた。

知らず知らずに、誰かが言ってた悪口を誰かへ伝えるような事をして友達を作るようになっていて、『そうゆうのやめた方が良いよ』とか『なんでそんなことするの?』とか言われて関係が悪くなり、かと言えばどう関係を修復して良いか解らず、孤立していった。

そんなこんなで、仲の良い人はほんの数人に絞られた。

結局の所、親同士の関係がほぼ必要なく、母のフィルターに掛けられた、母が満足するような家庭環境の友人としか遊べなかったのだ。

そうこうしていると、今度は思春期。

同姓の友人とも満足に関われなかった私が、異性とうまく関係を築ける訳がない。

せっかく『友人関係』だと思っていても相手は異性として見ていたり、相手のそんな感情に気が付くとどう対処したら良いかも解らず無意識に避けていた。

異性と友人関係になるのは無理なことだと悟った私は、出来るだけ出かける機会を減らし、個人的に連絡をとることも無くして、ついには『男はめんどくさい』と決めつけて、自分が好意を持っているひと以外を省いて生きてきた。

ちなみに、その傾向はいまも強く継続中だ。(^_^;)

共依存?

そんな交友関係が狭い私は、視野も狭ければ器も小さく、ちょっとした事がゆるせない人間になっていったのだろう。

潔癖とも言えるかもしれない。

考え方や話し方に強烈な【許せる/許せない】判断があり、そこから少しでも外れると相手のことを【私の世界】から除外していた。

ぎりぎり私の世界に入ってきた相手でさえ【こうゆうところは良くない】とか【へんな性格だな】とか見下している事に気が付いた。

知見が狭い私には、とうてい相手のことを理解できなかったのだ。

相手の世界に入っていく事が怖かったのだ。

知らない世界を知るのが怖かったのだ。

相手の懐にはいっていって、自分に違う色がついてしまう事が怖かったのだ。

そんなわたしは、気づけば【共依存】という世界にどっぷり浸かっていた。

自分でも無意識のうちに相手を自分色に染めて、もしくはお互いに染め合って、お互いに干渉し、独占し、まるでふたりだけの世界を作り出す。

健全ではない関係は、次第に息苦しくなっていく。

相手がすっかり自分に染まった頃には、こんどは私から逃げ出して、最終的には一方的に縁を切って終わり。

そんな事を繰り返すうち、『なんで私は毎回こんな事を繰り返してしまうのか?』と、とうとう人生に息詰まり、自分と向き合うようになった。

共依存から抜け出すには、自立すること。

結局のところ、わたしがなぜ相手を独占しようとするのか。

相手をコントロールしようとしていまうのか。

自分の思うように動かしたいのか。

そういったことを考えるようになった。

母に自分がされてきた事と同じように、誰かにも同じ関わり方で接していることに気が付いたのだ。

いっそのこと、ずっと気が付かないほうが幸せだったのかもしれない。

しかし、気が付いてしまった。

気が付いてしまえば、自分の行動や言動なにもかもが母にそっくりなような気がしてくる。

自分がされてイヤだったことを相手にもしている。

相手をコントロールして、いつしか私も相手にコントロールされるようになり、キャパが越えていって、気づけば息苦しい関係になっている。

『自立してないから息苦しいんだ』と気が付いたのだ。

自立するには、交友関係を広げること、世間を広げること。

自立しよううと思い始めて、わたしはいま一生懸命がんばっている。

しかし長年掛けて出来てしまった性格はなかなか直すことが難しい。

そもそも、自分で自分のことが許せない。認めてあげられない。

なんでだろう?と考えていったら、『交友関係を広げるしかない』と気が付いた。

そもそも私の世界は狭い。

固まってしまったいままでの考え方を広げていかないといけない。

他人を許して、自分を許さないといけない。

自分を知って、他人をしっていかないといけない。

自立するには、自分を知っていくしかない。

自分を知るには、他人と自分の違いを知るしかない。

他人と自分の差を知って、始めて『相手はこうなんだ、わたしはこうなんだ』と世界を、世間を広げていくしかない。

そんなことに気が付いた。

交友関係が狭いのは育ちが関係しているかもしれない。

トラウマがあるのかもしれない。

共依存なのかもしれない。

自立するために、私は私を知るために、他人を知らないといけないレベルまで来た、と思った。

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