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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

夏目漱石の【吾輩は猫である】に思うところ

夏目漱石の【吾輩は猫である】が好きだ。

【吾輩は猫である】は大層人気で今も多くの人に読まれている。

〝猫〟は漱石自身だと私は思っている。

異論は認める。ここはあくまで私が作った私のサイトなのだから、ここでくらい好き勝手に書いてみようと思う。

つまり【吾輩は猫である】には、漱石が二人、存在している。

人間の漱石と、それを客観的に眺めている漱石だ。

漱石は精神病だったとかそんな噂もあるが、なんと私は基本的に書物を読んで生きてきた人間ではないので知らない。

ライトノベルもほぼ読まない、絵本は読んでもらったこともあるかもしれないが印象的な記憶はない……とにかくここに書くものは私の想像ばかりで、〝物書き〟と自称してしまったがそう言えるほどの実績など何もないし書き方がめちゃくちゃなのは理解している。
……以上、言い訳はしたので本線に戻る。

〝吾輩は猫である〟はとても面白い。

それでいて、何が面白いのか私は伝えられない。

ただ、あの文章から漱石という人間を私は感じる。

チヨに充てたラブレター

あの文章は、漱石がチヨに充てたラブレターのようなものだと思っている。
以降は私が勝手に漱石になりきって書く、チヨへのラブレターである。
私の言いたいことは、以降のラブレターの中に詰まっているので、私からの文章は以上として締めさせて頂く。

〝チヨへ。

毎日毎日、私をよくぞ可愛がってくれた。
私は今日から〝小説家〟とでも名乗ってみようかと思う。
しかし名前はまだ無い、なにせ小説家のたまごなのだから。
どんな話を書いたらチヨが喜ぶのだろうかと考えてみた。
あんまりまじめな話だとチヨは飽きてしまうかもしれない。
幸い、主人公を猫にする、なんてアイディアが出た。
私は毎日、文章が書けなくて寝ていたり、目が覚めては慌ててみたりしている。
うちに居る猫はさぞかし気楽で楽しそうだ。とにかく、わたしは元気でやっている。

チヨの目が黒いうちにどうにか恩返しをしたいが、可能なのか解らぬ。
どうか私が有名になるまで死んでくれるな。
絶対に口に出すなどという事はしないが、愛しているという気持ちが君に伝われば良いと私は願う。
人気にならなくても有名にならなくても、きっとチヨは変わらず私を愛してくれるのだから。

さて、長編など書いていたらいよいよチヨは寿命で死んでしまうかもしれぬ。
この話もこの辺にして、この文章を読むチヨを私は早く見たい。
猫は金魚鉢に落ちたという事にして殺してしまった。
なぁにいずれ皆平等に死がやってくるのだから怖がることはない。
私もいずれ死ぬ、チヨも死ぬだろう。怖がることはない。一瞬快楽があるなんて噂もあるほどだ。
それではさようなら。〟

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