HSP(敏感体質)?洞察力?

あぁ、今日またやってしまいました。 HS.

あぁ、今日またやってしまいました。
HSPについての記事は一旦寝かせようと思ってました。冷静に分析するために時間を置いた方が良いと思ってたんです。
しかし、今日また良くない事をしてしまいました。

その良くない事をしてしまった原因はHSPというか洞察力が鋭すぎるから。そして潔癖すぎるからだと、いまとても反省しています。

『本心』に気がつく時がある

少し話は逸れますが、私は誰かの『嘘』にとても敏感です。過敏なんです。
そして、『なんでそんな風に嘘をつくの?』と突き詰めてしまいたくなるのです。

それが、通常よりも心の深い部分を刺してしまうのです。『嘘つかないで!』という一言で終わるならまだ優しいと思います。

もっと深層の部分に触れてしまうのです。場合によっては相手が自覚してない部分を突いてしまうのです。

……そんな事を相手に言ったって仕方がないのに。

上司と喧嘩しました。

これは過去の話ですが、上司と喧嘩しました。
喧嘩、と言えるかは解りません。しかし私なりに自分の考えを訴えました。

私が本当に怒ったら、相手の人格まで突いてしまうと思います。
しかし場所は会社、相手は上司、しょせん他人、と言う訳で人格には触れませんでした。
とにかく自分の主張だけを延々と訴えました。

そしてすぐに気がつきました。

『この人、わたしの言葉を聞く気がまるでない。』

気づいた瞬間、この話し合いは無駄だと察しました。急に面倒になったので『すみませんでした』『わたしが悪かったです』と謝りました。出来るだけ穏便に終わらせたかったので、極力申し訳なさそうな演技をして言いました。

しかし私も興奮していたので、うまく演技し切れなかったようです。
『あなたは悪くないですよ』と上司が言い出しました。『話し合いをしましょう。いつなら良いですか?』と。

もうこの時点で私はサイアクな気分です。なぜなら、上司はそんなふうに言葉で言いながら、相変わらず私の言葉を聞く気が無いのです。
上司は、このままでは自分の立場が危うくなると思って、表面上もっと素敵な見た目で『和解した』ように周囲にアピールしたかったようです。

ただただ私のことを『丸め込む気しかない』上司の態度が透けて見えてしまって、もう私に会話する気力はありませんでした。

ひとまず話し合いは後日という事になり、結局ほかの上司が間に入ってくれて、『話し合い』と言う名のナニカは取りやめとなりました。

ひとつの環境、関係が続かない原因?

上記の、上司との喧嘩のような事件は、私にしてはとても珍しい事です。

なぜなら、今まで私は喧嘩を避けて生きてきたからです。いつもなら逃げ出して、今頃はもう違う職場に居たかもしれません。

逃げ出すというのは賢明ではありませんが、私には逃げるという選択肢しか見えなくなってしまうのです。
出口がソコにしか無いのです。だけどひとつの出口が見えているのです。だからそこへ向かって全力疾走するんです。『あそこからしか出られない。あの道へ逃げなくちゃ。』

戦って両者に傷が残るぐらいなら、先に気づいたであろう私が逃げて事なきを得ようと思って生きてきました。

そうして私は職場を3年程度で辞めて次の職場へ行き、得意の洞察力で信頼を得て、また相手のウソが許せなくて辞める。そんな事を繰り返しています。

ただの被害妄想では無いのか?

先の上司との喧嘩の中に、私の良く無い部分が沢山あります。

洞察力が鋭い。HSP。

そんな単語で自分を少しでも理解しようと努力していますが、果たしてそれは正しいのか?と。
私のあの思考は正しいんだろうか?と。

だんだん、自分の考え方そのものに疑念が湧いてきます。

本当は私が悪かったんじゃないの?と。

『相手は本心では、理解しようとしてくれてたんじゃないか?』という事です。

『私の事を言いくるめようとしてる』のはただの被害妄想なのでは?

『周りへ良い人アピールしたい』と言うのは妄想では無いのか?

相手は、本当は心の底から私の事を理解しようとする気持ちがあったのかもしれない。

一度考え出したらもう止まりません。『私が悪かったんだ』という考えへ一気に傾きます。
『そもそもただの私の被害妄想だったんだ』という考えが私の中を埋め尽くしていく。

……自分は、一体いつからこんなに被害妄想が強くなってしまったんだろう。

『相手の感情が解る』と言っても、昔はもっとうまく、良い事に使えていた気がするのに……。

最近の自分は、どうにか生きやすい自分だけの道を探すために苦しんで居ます。

もがいて、どうにかしなくちゃと躍起になって、そのぶん誰かを傷つけている気がします。

果たしてコレが成長なんだろうか?

ただ我儘になってしまっただけなんじゃないだろうか。

こんなふうに誰かを傷つけてしまうくらいなら、やっぱり自分の怒りなんて目を瞑って無視した方が、周囲の人は幸せなのかもしれない。

どうしても自分が耐えられないなら、ひとりでどこかへ逃げて居なくなってしまえば良いんじゃないか?と、そんな風に思います。

そのほうが、みんな幸せで居られるんじゃないか?と。

言葉は暴力

今日はとても落ち込んでいます。自分の傲慢な部分に、またひとつ気がついたからです。

言葉は暴力です。

私はHSPで洞察力が鋭いタイプだと自己分析しています。

深くまで解ってしまうならば、攻撃する瞬間ほど、もっと柔らかく言わなくては。

相手を深くまで傷つけてしまう。

相手の感情に気がついて、『悩みを伝えたいんだな』とか『笑ってほしいんだな』とか『ソコには触れて欲しくないんだな』とか。
『もうすこし下ネタが聞きたいっぽい』『寂しいから相手してほしいみたい』『私に同調して悪口を言わせたいみたい』
そうやって希望に応えて、相手を満足させる。

良い事に使える事が多いと思います。

ただ、その能力(とまで言えるか解らないけど)を使うと、私は倍、疲れます。

相手の希望を察知してそれに答える。それが私のコミュニケーション方法なのです。
そうやって今まで生きた来たのです。

ほんとうの私は、細かい事が許せず、本音ばかり気にして、『自衛』のためのウソさえ許せない、ちいさな器の人間なんだなと、自分の嫌な部分にまた気がついてしまいました。

怒りを相手にぶつけ過ぎてしまう。

言葉は暴力だと、自分でも思いました。

今後どうやって生きていけば?

最近、自分で目標を作ってない時よりも、ずっと自分らしく生きていれてる気がします。

しかし、自分らしく生きようともがくも、『ワガママ』と『自分らしく』の境界線がわからなくて混乱しています。

相手を傷つけたくない。

だけど傷つけてしまう。

自分らしく。

我慢とワガママ。

また新たな壁に出会った気分です。

まだ悩んで生きてる昨今。どうやって生きていこう。どうやって生きていけば?

そんな事を考えながら、今日は疲れたので眠ろうと思います。

おわり。

This article was written by ねこ