365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

フジコ・ヘミングのピアノを聴きながら

夜。

月明かりが優しい窓際。

白いレースのカーテンが一枚。

窓辺で一冊の本を開く。

紙をめくる時の指先に伝わるザラリとした感触。

厚手の紙がぺらりと軽い音を立てる。

足下にはいつもと同じように身体を丸めて眠る犬。

出窓の縁に腰を休め、片足が時々ぶらりと弧を描く。

部屋に響くのはただただ静寂。

黄色い淡い明かりだけを頼りに文字を追う。

厚手の紙がぺらりと軽い音を立てる。

犬の寝息は小さくて聞こえない。

そこに響くのはただただ静寂。

***

フジコ・ヘミングの『月の光』、そして『愛の夢』を聞きながら書いてみた。

『フジコ・ヘミング』について、私が知っていた情報は、外人っぽい人、変わった服を着る人、ピアノを弾いてる人、なんか頑固っぽい人、と言う事らへんだ。

そして友人から、耳が聞こえない(聞こえにくい)と言う事と、猫を飼っている事を聞いた。

wikiでフジコ・ヘミングを調べてみたら、愛猫家であると共に愛犬家との事。

猫だけでは無く犬も飼って居たんだなぁ。

ちなみに直前まで辻井伸行のピアノを聞いていたからか、『自由な弾き方に変わったなぁ』と思ってパソコンの画面を見てみたらフジコ・ヘミングであった。

ピアノの音は、1音1音がコロコロと飛び上がり転がり落ちていくスーパーボールみたいだ。

のだめカンタービレでも、のだめの弾き方がそんなゆうに表現されていたから、それを思い出したのかもしれない。

小さい頃にピアノを習ったことがある。グループレッスンは人と合わせないといけないという事が嫌になり個人へと変えた。しかし個人レッスンの先生はヒステリックで、これまた嫌になってしまった。

練習をしないでレッスンへ向かったら、先生が相手にしてくれなかったからだ。

そもそもピアノを習いたい!と親にせがんだ記憶も特になく、教育のひとつとして習わせたいと思っていたらしい。

その後も何度かレッスンをサボり、暫くしてピアノは辞めた。

しかし、ピアノ自体は好きだった私は、一人で弾きたい曲を何度も練習して弾いたりしていた。何度も何度も同じ場所でミスをして、何度も何度も弾く。ミスしても楽しかった。ずっとピアノの前で弾いてることには飽きなかった。

ある時、先にギブアップしたのは母親で、『ずっとそこから進んでないんじゃない』と言われた。同じ所でミスタッチを繰り返すから、聞いているのにウンザリしてしまったようだ。

そうして私はまたピアノから距離を取った。

***

ピアノの音が好きだ。

私は、ピアノを弾いていて最初の『壁』にぶつかった時、『そもそも私が望んだワケでは無い』と言い訳をして練習から逃げて辞めた。

あの時、どうにか食らいついて頑張っていたら、もっと自信を持って何でも取り組めるようになっていただろうか。

『部活を途中で辞めてしまうような子は耐久力が弱く、忍耐力に欠ける』どこかの母親が言った言葉が私の心に突き刺さる。

まあ確かにその通りなのかも知れない。

ただひとつ思うのは、あの時、なぜ諦めてはいけないのか、なぜ途中で辞めてはいけないのか、

母親に、まっすぐ、私から逃げずに適当に目を逸らさずに、真剣にぶつかって来て欲しかったと思う。

私はもう子供では無い。言って欲しかった事ややって欲しかった事をいつまでも願っていても終わったことはどうしようもない。『母』と言う存在もたったちっぽけなひとりの人間であると言う事を知っている。

『母親』と言う名前の人間はこの世に存在しない。

私はひとり、子供時代から自分を育て直すつもりでいる。

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