『幽霊が見える人』
【見えてる人・見えてない人】と言われてまず最初に想像するのは『幽霊』じゃないだろうか。
私は幽霊は見えない。
にも関わらず、幽霊の存在を信じてる。
幼い頃からの友人が『見える人』で、その友人の発言を盲目的に信じていた。
そんな彼女は成長して大人になった。そして出産して暫くすると『見えない人』になってしまったらしい。
私は、それでも『彼女は過去、幽霊が見えていた』と盲信している。
彼女は自分の事ながら、『あれはなんだったんだろう』とどちらかと言えば自分のことなのに信じてないようだ。(笑)
『なんだったんだろう』と疑問に思うのはまた別の話として、彼女の『見えてた記憶』は無くならないと思う。
もしかするとこれからもっともっと年を取っていって『そんなことあったかなぁ』と思うかもしれない。
だけど、彼女の中には『誰にも信じてもらえないけど、私には見えていた』という経験は糧になるんじゃないだろうか。
見えないモノを信じる人
幽霊に関して言えば私は『見えない人』だ。
オカルト好きだと言えばそれまでだが、見たことも無いのにその存在を信じてる。
ちなみに宇宙人も居たっておかしくないと思ってるし、なんなら地底人がいるかもしれないとも思う。
宇宙の果てにだって辿り着けて無いし、地底の底にだって辿り着けてないんだから、生物が居たとしてもおかしくないよね。
そんな風に思う。
『地球は青かった』という事実。
初めての体験は貴重だ。
人間は目でものを見ている。視覚で沢山の情報を得ている。
なので、『初めて見た』という体験は人生を左右するほど大きいだろう。
小さなころは初めてのものが沢山あった。
海、山、川を初めて見るという体験。
たんぼによく居る謎の白い鳥だとか、道の隅に住むホームレス。
初めて見る体験はいつも新鮮でドキドキして緊張する。
『見たことがある』人にはすぐに伝わるし、『見たことがない』人には説明しても信じてもらえなかったりする。
『地球は青かった』というのは今では共通認識だけど、『初めて』それが伝えられた時、みんなそれに驚き、感動したりした。
『地球は青い』と知ってる人と知らない人との間には大きなミゾがある。
写真や動画で見たことがある人には『青い地球みたいにさ』という表現が伝わるし、見たことが無い人にはチンプンカンプンだろう。
見た人と見てない人のあいだには、おおきな川が流れてる。
見える人と見えない人の世界を比べたら、
まったく違う世界が見えてるのかもしれない。
パック飲料、折り畳んで捨ててますか。
さて、何が言いたいのか、ちょっと解りにくくなってしまったかもしれない。
実は今日、とある事に気が付いた。
私は牛乳の代わりに豆乳を飲む習慣がある。
紅茶を飲むのが好きなのだが、牛乳の代わりに豆乳で割って飲むのだ。
いわゆるソイ・ラテ。
そのパックを、捨てる時に折り畳んだ。
すると、『たたんでくれてありがとう』という文字が印字されてることに気が付いた。
初めての体験、驚き。
これは『畳んで捨ててる人にしか絶対に見えないもの』だ。
『ご褒美』みたいな気がして、なんだかほっこりした。
ちなみに、他にもこの『隠れメッセージ』はあったりするらしい。
今まであんまり気づかなかったけど、パック飲料を頻繁に飲む人で、毎回必ず畳んで捨ててる人は気づいてるのかもしれない。
見えてる人と見えてない人
そんなこんなで、『パック飲料』を飲まない人は、そもそもその存在に気が付かないだろう。
パック飲料を頻繁に飲んでいて、折り畳んで捨ててる人の中にも、もしかすると気づいていない人もいるかもしれない。(昨日までの私には、見えてなかった)
そして一番驚くのは、たぶん、頻繁に飲んでるのに『畳んで捨てない人』だと思う。
もう一歩踏み込んで言うならば、『損をしたくない人』じゃないだろうか。
いや、『自分が損する事にうるさい人』かもしれない。
つまり、『知ってたら畳んだのに!』と言う人。
見えてる人には見えてるし、見えない人には見えていない。
なんだか今日はそんなことを書いてみたくなった。
意外なところに、小さな発見は眠ってたりする。
そんな『粋な計らい』を作り出したパック飲料業界に、『ありがとう』と心の中で言おうと思う。