365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

未完成なモノは創造を発生させる。

足りないピースは気になるはずだ。/ジグソーパズル


例えばジクソーパズルのピースをひとつ失くしたとする。

すると、なかば強制的にそのピースを想像してしまうだろう。

青空の絵、欠けたピースなら青空を。

誰かの顔なら、欠けたその頬を。

300ピースあるうちの1ピースだけが欠けたなら想像しやすい。

しかし、もし完成されていたならばどうだろう?

完成されたジグソーパズルの絵が一枚、壁に掛けられていたらどうだろう。

綺麗だなぁ、と思うかもしれない。

へぇー、だれかジグソーパズル好きなのかな、と思うかもしれない。

でも、そこから発展させるようなナニカは思わないんじゃないだろうか。

例えば『そうじゃなくて、こんな絵だったら』なんて想像したりはしないんじゃないだろうか。

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完成されているものに手を出す余地は無い。


完璧なモノは美しい。

完璧なモノは、感動を与える。

感動は納得で満足だ。

満足とはつまり『お腹一杯』の状態で、それはもはや『もう要らない』と言う事だ。

眺めて心穏やかな気持ちになるかもしれない。
あるいは充足感を味わうだろう。

そこにあるのは完璧なモノの場合、それを『保存したくなる』のでは無いだろうか。

誰にも手を触れさせないように、鍵をかけるかもしれない。

傷つかないように隠してしまうかもしれない。

すでに完成仕切っている場合、『もっとこうしたい』という欲求は生まれづらい。

どちらかと言えば『守ろう』とするのでは無いだろうか。

創造を産むのは『中途半端な時』だ。


中途半端。

『物足りない!』『なんか違う!』『なんか惜しい!!』

そんな感情が生まれた時に創造は始まる。

『もっとこうすれば』
『ここがああなら…』
『もしあんなふうになれば』

足りないピースを想像しやすい時、自分の考えを乗せて気持ちを昇華させる。

その時が一番気持ち良いのかもしれない。

足りないピースを埋めた時じゃ無い、『きっとこんな絵が描いてあるピースだ』と想像してる時が、一番幸せなのかもしれない。

だからもっと、『未完成』を出していこう!


未完成は恥ずかしい。
完璧じゃ無いものはキタナイかもしれない。

だけど案外ひとは、未完成で恥ずかしくて、中途半端でキタナイ物が見たいのかもしれない。

それは多分、未完成だからこその、中途半端だからこその『てざわり』なんじゃ無いだろうか。

ザラザラかもしれない、フワフワかもしれない、ツルツルかもしれない。

そんな『手触り』の中に見いだした『ほころび』、
つまり『キタナイ継ぎ目』にも、人は価値を映せるんじゃないかと思う。

それはきっと、多くの人の『想像』を抱え込んで飛んでいく。

多くの人の『夢』を抱えて羽ばたいていく。

未完成だとしても、相手に渡せる価値はある。

完璧じゃなくても、夢を見せられるのだ。

だから、もっと未完成なモノを作ってしまおう。

完璧じゃないものを見せてしまおう。

相手に渡せる夢があるのだから。

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