365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

幸せとは何ぞや?

幸せとは何ぞや?

幸せとは。


お金があること。

子供を産むこと。

子供を育てること。

恋人がいること。

おいしいご飯がたべるれること。

仕事で認められること。

信じて貰えること。

頼って貰えること。

親友が私に説く『シアワセ』。


幼い頃からの友人がいる。

彼女は私のことを『親友』だと言ってくれる。

そんな彼女は、ものごころつく頃には『子供が欲しい』と言っていた。

大人になりお互い別の学校へ行き、それでも私たちの仲は続いた。

頻繁では無かったが一年に数回は連絡を取った。

お互いの誕生日を祝い、正月には挨拶をし、お盆には遊んだりした。

数年が経ち、彼女には子どもが出来た。

出来ちゃった婚ではあったが、結果として『子どもが欲しい』という彼女の願いは叶った。

私は今のところまだ未婚だ。

31歳、独身、女。

恋人はいるが、結婚の予定は無い。

そんな私の身を案じて彼女は言う。

「子供とか欲しくない?」

幸せとは?全部考え直してみる。

あえて、ちょっと過激な事を書いてみる。

お金があること。
→貧乏な人は不幸せですか?

子供を産むこと。
→子供を産めない男性は不幸せですか?

子供を育てること。
→子供を育てた事が無い人間は不幸せですか?

恋人がいること。
→恋人がいない人間は不幸せですか?

おいしいご飯がたべるれること。
→食塩制限された人は不幸せですか?

仕事で認められること。
→仕事が出来ない人は不幸せですか?

信じて貰えること。
→信じて貰えない人は不幸せですか?

頼って貰えること。
→頼られない人は不幸せですか?

シアワセって『他人基準』なのか?


シアワセとは何だろう。

子供がいない、未婚の私の事を心配してくれる友人。

友人に心配される度に私は考える。

子供を産まなかったら不幸せなのか?

私は、何かの病気で子供を産めない訳ではない。

『産む』ことだけを優先するとしたら、明日にでも身ごもる事が出来るかもしれない。

一方で、病気で産めない可能性もある。

たとえば、彼女の考えで言うと、病気で子供を産めない場合、わたしは不幸になるのかもしれない。

子供を育てた事の無い私は未熟で、成長できな人間なのかもしれない。

もし恋人と別れた場合、私は不幸になるのだろうか。

仕事をクビになったら不幸になるのだろうか。

貧乏になったら不幸になるのだろうか。

そんな彼女は子供を愛し、旦那の悪口を私に言う。

子供が欲しいと常々いってた彼女は、子供を降ろしたりせずに産み、旦那の稼ぎで専業主婦をやっている。

そして彼女は、かねてから幼なじみの男にも愚痴を言う。

ふたりとも既婚者だ。

その男性も、奥さんの愚痴を彼女に言う。

幼なじみの男性は、過去、彼女のことが好きだった。

そんな2人を見てると思う。

ああなんて不幸なんだろう、と。

『他人軸』というモノサシ


シアワセを考える時、誰かと比べるのがイチバン簡単だ。

となりの人よりも多くのモノを持ってる。

友人の中では、自分の彼氏がイチバン稼いでる。

クラスの中で目立つタイプ。

学年では成績優秀。

学校で一番足が速い。

地域では有名な富豪。

県大会に行った実力。

国をあげて応援する選手。

世界一の記録。

『普通は』みんなやってる習慣。

『みんなが良いと言う』健康食品。

『世間的には』上位のレベル。

とすると、もしも明日、『紙幣』が無くなって『仮想通貨』だけになったらどうなるんだ?

『みんなも同じだから大丈夫。』

あなたのシアワセは、『みんなから外れない事』?

シアワセって『みんなから外れない事』?


シアワセとは何だろう。

『アイツはダメな奴だ』と大きな声で偉そうに非難できることだろうか。

『あのひとはいつまでも結婚しないで』と言えることだろうか。

誰かを非難して満たされる日は来るんだろうか。

一時の麻薬のようなモノでシアワセになれるんだろうか。

『他人が中心』は幸せですか?

結婚したあなたは幸せですか?

味方になってくれる人間を育てられて幸せですか?

結婚しない私は不幸ですか。

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