365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

安いクセして。/最近の広告が面白い。

最近の広告が面白い。

最近の広告は、心に響くキャッチコピーが多い気がする。

『面白い』と表現したが、『響く』という意味だ。

中でも最近心に刺さったのが、SEIYUの店内に貼ってあったポスター。

『安いクセして。』

そんな言葉で綴られた広告。


「あら田中さん!」
「まぁ、高橋さん!」
「何買ったの?」
「うん、今日はカレーにしようと思って」
「あら、サラダも作るの?トマトもあるわね」
「そうなのよ。本当は違うスーパーもあったんだけど、ついこっちに来ちゃうのよね」
「わかるわ~!ここ、トマトは新鮮でおいしいし、カレー粉もそこそこ安いのよ」
「そうなのよね~!!わかるわ。ほんと安いクセして、割と良いもの売ってんのよ」
「わかる!ほんと安いクセしてね」
「そうそう、安いクセしてね!」

まるで、こんな主婦の会話が聞こえてきそう。

すごく素敵なキャッチコピーだなぁと思った。

積極的に『新しい表現』を使う時代へ

表現というのは、使い古されていく。

新しい表現を見つけて、みんなが賛同し、そればかりを使うようになる。

知らず知らずのうちに『表現』を模倣し、似せて、『二番煎じ的な面白さ』を使いがちだ。


そんな中で、『安いクセして』というのはとても新しく、確信をついていると思う。

一見ネガティブに見える『クセに』という表現。

だけど『安い・クセして』という使い方で表現は一転する。

こういった表現方法は昔からあったと思う。

技術的な観点から考えると、さほど新しい手法では無いのかもしれない。

しかし、話はもう一歩 飛躍する。


『積極的に新しい表現を使おう!』という時代になってきたと感じるのだ。

背景/一瞬で有名になる『素人』

最近はインスタグラムやTwitter、フェイスブックなど、SNSが盛んだ。

SNSは凄い。

名も無い『素人』が一瞬で有名になる時代。

ほんの十年前くらいはSNSなんてメジャーでは無かった。

その頃は『素人』が発表できる場なんて無かったのだ。


つまり『その世界』にいる人しか携わる事が出来なかった。

例えば、いくら女子高生が『タピオカミルクティー美味しいし可愛い~!』と発言しても、
タピオカ専門のお店がオープンするまでには至らなかった。

いや、オープンしたとして、数年かかったのだ。

『現場のリサーチ』や『女子高生へのインタビュー』を経て、
需要があるかどうか見極め、店舗を借り・・・、
という『生の声』が、なかなか『その世界の人』に伝わらなかったのだ。

しかし今は、現場の『生の声』がSNSを通じて、すぐに把握する事が出来る。

結果的に『流行り』は素人でも発信できるものとなり、
一瞬でバズり一瞬で流れ去る。


そんな『時代』になったのだ。

『素人への悔しさ』をバネに。/積極的な挑戦へ。

一瞬でバズり一瞬で流れ去る。

『瞬発力』の時代に突入したのだ。

少しでも的外れな言葉を使えば、置いていかれる。

間違った事を言えば、一瞬で拡散される。

大勢の反感を買えば、炎上する。

そんな時代だからだろうか。

昔よりもずっとずっと多くの企業が、『表現の大切さ』を噛みしめている気がする。


ダサい大人のやり方では流行らない。

へたくそな真似事では見抜かれてしまう。

『素人』という『時代のプロ』に淘汰されてしまう。

だからこそ、多くの企業が『表現』に気を使い始めた。

『広告』は、その最たるものでは無いだろうか。

何週間、いや何日間で移り変わる車内広告。

すぐに張り替えられるポスター。

大人がとうとう『積極的な挑戦』を仕掛け続けなくてはいけない時代が来た。

『素人への悔しさ』をバネに、

まだまだ世界は、面白くなっていく気がする。

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