365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

妄想が趣味/妄想は自己防衛であり危機管理のひとつだ。

私の趣味は妄想だ。

妄想は現実逃避だと言われることがある。妄想はいけない事だろうか?やめたほうが良いのだろうか?

そんな事を時々考える。

自分の趣味が『妄想』だなんて、気づきもしないほど日常的に妄想をしていた。

他の人が、さほど妄想して遊んだり暇つぶしをしたりする事は無い、といつからか解っていた。

しかし自分が異常だと思うことは無かった。他の人が考えもしないような事を考えて、暇つぶししてるんだなぁという自覚はあった。

私にとっての妄想は、想像の延長線上にある。

誰かが言ったひとことの裏の感情を読んでみたり、いままでどんな人生を歩んできてその発言になったかを妄想してみたりする。

私にとっての妄想は想像であり、自己防衛であり、危機管理のひとつだ。

ドライバーがハンドルを左に切ったら挽かれてしまうかもしれない。

ヒールの高い靴を履いたら溝に引っかかって動けなくなってしまうかもしれない。

大きな鞄を持っていたら、万引きすると勘違いされるかもしれない。

車にひかれても軽傷ですむかもしれない。ドライバーが良い感じの好青年で、自分が見初められて恋に発展するかもしれない。

溝にひっかかったのを見て、笑いながら助けてくれるおばさんがいるかもしれない。そのおばさんと仲良くなって、お茶する関係になるかもしれない。

万引き犯だと勘違いされ裏に連れて行かれて、一生懸命弁明してどうにか理解してもらえて、ようやく解放されたら愚痴を言いながらカツ丼を食べたい。

私にとっての妄想は想像であり、ひまつぶしであり、楽しみのひとつだ。

昔、たしか占いの番組だったろうか。

ある人が『妄想の中に生きてる人』と揶揄されていた。 (ある人が誰だったかは忘れてしまった)

妄想自体は悪いことではないかもしれない。だけど行きすぎれば、現実に生きてない人として空想の中に身を置き、現実逃避ばかりがクセになって害になる場合もある。

そんなような事を言われていた。

しかし妄想も使いようだと言った。妄想は、それだけでは自分のためだけかもしれないが、それを表現して形に残れるのならば、それは誰かに夢を与えるものになる。

そんなような事を言ってたと思う。

その話を聞いて私は、なるほどなぁとじんわり納得した。

私の妄想はただのクセで、自分の為のもので、別の視点から見ると『自分のせい』でもある。

だけど、それを表現し形にすることで誰かの為になったりするのか、と、目から鱗のような気持ちだった。

私の妄想は自分のためのもので、誰の役にも立たないかもしれない。

だけど、もし誰かの役に立つのだとしたら、そんなに嬉しい事はないかもしれない。

日常的にしている自分の妄想が誰かの役に立つのなら。

それで、もし自分のその妄想が仕事に直接繋がるのなら、そんなに幸せなことは無い。

そう思った。

それで私はこうして、文字にして表現して、形に残すようにした。

誰のためになるかもしれない、誰のためにもならないかもしれない。

だけど、少しでも良い、もし誰かの役にたったり、気づきのキッカケになったり、幸せを感じるタイミングになったりすると良いな。

おわり!

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