先日『弱音』についてのブログを書きました。
それで引き続き、『弱音』について考えていました。
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弱音を吐きたくなる原因/劣等感
なぜ弱音を吐いてはいけないのか?
そもそもなぜ弱音を吐こうと思ったのか?
悲しかったから、つらかったから、苦しかったから。
誰かと自分を比べた時、負けてると思ったから。敵わないと思ったから。本当は勝てるハズだと思ってるから。悔しいから。
こういったマイナスなイメージばかりが溢れてきた。
なぜこんなにも自分に自信がないのだろう?なぜ劣等感ばかりを感じてしまうのだろう。なぜ他人に嫉妬してしまうのだろう。
昨日考えていた事から、もう一歩踏み込んで色々と考え、悩んでいました。
そうすると、ある事実が見えてきました。
劣等感を覚える原因/ラクして結果を出したいから。
なぜ自信がない?→自分を褒めてあげられないから。
なぜ劣っていると思う?→悔しいから
なぜ悔しい?→本当は私だって出来ると考えている
では、なぜ出来ない?→やってないから。
なぜやらない?→やりたくないから。
なぜやらない?→疲れるから。
こうして考えていくと解ります。
傲慢で、努力したくない、けれど結果は欲しい。やれば出来ると思ってるくせにやらない。それでいて文句ばかり。
ラクして結果を得たい。努力せずに勝ちたい。
……なんとズルイのでしょうか。
こんなにも自分がズルイ思考の考えだったとは。
それで、色々と調べてみました。
なぜ劣等感を感じるのか?なぜ嫉妬するのか。
調べて行くと様々な視点から捉えた他人の意見を知ることが出来ました。
『劣等感は良いこと』なんて事さえ出てきました。
劣等感があるのは『本当は勝てると思ってる証拠』。つまり『本当に努力すれば勝てる可能性が高い』。
劣等感がなければ現状で満足してしまう。現状で満足してしまうと、先に進むことが無い。改善しようと言う向上心が無い。
つまり劣等感があれば、いくらでも向上していける可能性がある。
そんな意見が出てきました。
逃げずに真正面から劣等感と向き合う。
『劣等感は良いこと』である。
劣等感があるのは『本当は勝てると思ってる証拠』。つまり『本当に努力すれば勝てる可能性が高い』。
劣等感がなければ現状で満足してしまう。現状で満足してしまうと、先に進むことが無い。改善しようと言う向上心が無い。
つまり劣等感があれば、いくらでも向上していける可能性があるという事。
……こうゆう考え方を以前は簡単に出来ていました。
でも、それは本当の心の底から湧き出てきたものではなかったのです。
それはただの逃げで言い訳だったのです。悔しいとか劣等感とか辛いとか悲しいとか、そうゆうマイナスの事から目をそらす為にそういった考えをしていたのです。
克服する気なんて無くて、逃げるためにそう思ってました。
ただ、目をそらす事で良かったこともあります。
意識しないようになるからこそ、『やる』事が出来たのです。
悔しいとか負けてるとか考え始めると、感情にひっぱられてしまい動けなくなってしまう。
言い訳や逃げばかりで進まなくなってしまう。
逃げてしまえば『いつかやる』可能性もあったのに、逃げずに延々と考えてるからこそ『いつまで経ってもやらない』と言う事が起きるのです。
では、逃げたほうがよかったのか?
ある意味ではそうかもしれません。逃げたほうがよかったのかもしれません。
でも、それでは伸びるかどうかはわかりません。
いつか伸びるかもしれない可能性があるだけで、伸びない可能性もあります。
ウダウダと考えているよりも、やるしか無いのです。言い訳ばかり考えるのはヒマだからです。時間があるから出来るのです。忙しくしてれば考えるヒマなどありません。
では、忙しくしてれば良いのか?
いえ、それも違うと思います。
忙しくしていて考えるヒマが無いと言うのは、結局のところ自分と向き合ってないと言う事だと思います。
私は今まではそうでした。結局やることが色々とあるので、自分の心と向き合う時間がありませんでした。
自分の心と向き合う時間がなかったから、今の今まで自分の意見も大して無いまま、流されて生きてきた。
だけどそれはもう辞めたいのです。
楽しくないのです。苦しいばかりなのです。
脱線してきたので、元に戻します。
さて、なぜこんなにも劣等感を覚えるのかをもう少し掘り起こしてみました。
劣等感は本気だから!負けず嫌いだから!
そもそも劣等感は、結局のところ『本気だから』だと思ったのです。
私はすぐに本気になってしまう部分があります。
すぐに負けたくないとか勝ってやろうと思ってしまう好戦的な性格なのです。
これも最近までは知りませんでした。余裕を持った姿を相手に見せることばかりに意識が行ってましたが、実のところ『負けたくない』と言う感情が根底にありました。
それでいて、『負けたくない!』と発言する事はダサいと思っていたのです。カッコつけていたのです。
懸命に努力していながら、『努力してないのに勝っちゃったなぁ』と言う体(てい)で居たかったのです。
私は負けず嫌いでプライドが高く、それでいて好戦的だったのです。常に一番じゃなきゃイヤな性質だったのです。
それを自分で認めない限り、『どうしてこんなに劣等感があるんだ』と延々と考えるコトになるのです。
さて、『負けたくない!』と思ってしまう好戦的な性格な自分を受け入れる事が今は出来た気がします。
なぜそんなにも劣等感を感じてしまうのか?またさらに深く考えてみました。もっと根本的なところです。
考えていくうちに解ってきました。
もしかして『やる気になってしまう』からなのではないかと。
劣等感=『すぐやる気になる』性質?
すぐにやる気になる性格?
何か問題が起きた時、私の場合『解決してやる!』と言う考えがすぐに浮かびます。
どうにか足掻いて、状況を変えようと思うのです。
ある時は印象操作で相手を動かし、ある時は自分の逃げ道を進んで、とにかく状況を変えようとしていました。
それはある意味『やる気になっている』状態なのではないか?と考えました。
どうにかしようと足掻く。やる気になる。勝ってやろうと思う。自分で行動する。
それらはつまり『やる気のある状態』なのではないか?と思いました。
しかしそれがうまくいかない時、どうにもならないとき、負けたと感じて劣等感を覚えるのだと思いました。
『劣等感=やる気になった結果』は長所であり短所である。
やる気があるのは良いことです。でも、あまりにもたくさんの方向へ向かってやる気を出すと疲れてしまいます。
人間は得手不得手があるので、全て完璧という人間はいないのです。
苦手分野がある事は普通のことです。いえ、得意分野だとしても上には上がいるものです。
いくらやる気になっても、いずれ壁にぶつかる運命なのです。でも、それでもやる気になってしまう。
何でもかんでもすぐに『勝ってやろう』とか『負けたくない』と思ってしまうから、劣等感を覚えるのです。
『やる気を出せる』のは良いことだと思います。しかし、やる気を出せることは、もしかすると欠点とも取れるかもしれません。
『やる気を出せる』という事は、長所であり短所でもあります。
つまり、
劣等感を感じてしまうのは、『やる気を出せる』と言う長所と短所があると言う事なのかもしれません。
これからは劣等感を覚えたとき、『すぐにやる気になってしまう気質が出てるな!』と客観視できそうです。
そう思えるとき、私はほんの少し、肩の荷がおり、もう少しだけ気軽に自分の感情を受け止められるような気がしました。
……おわり!