365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

クソ野郎と美しき世界【感想】ボーダーを越えて行こう。

先日、見てきました。

『クソ野郎と美しき世界』!

https://m.youtube.com/watch?v=sHv5pZ8-aDY

香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎『新しい地図↗︎』メンバーによる映画。

最初に。世代だったけど、ファンでは無かった。

香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎と言えば、国民的アイドル・SMAP!

そんな国民的アイドルであるSMAPだが、もともと私が彼らのファンだったのか?と聞かれると、解らない

世代だった。赤ずきんチャチャのリーヤの声を『香取慎吾』と知らずに見ていた。

おっはーでマヨチュッチュらへんはまさに世代ど真ん中で、家族間の挨拶が数年間『おっはー』だった。(手の振り付き)

好きとか嫌いとか無かった

つまり、当たり前に存在しすぎていて、好きとか嫌いとかそうゆう感情では無かった。

居て当然だし、歌っているのも当然だし、自分が曲を知っているのも当然。

……つまり、無意識のうちに大好きだったんだと思う。(笑)

なんだかずいぶん大袈裟なように感じるが、しかしそうゆう人は多いだろう。恐らく、国民のほとんどが無意識で大好きだったんじゃないだろうか。

私はドラマはあんまり見ないタイプ。だから木村君とか中居くんとかゴローちゃんとか、そんなに好きって程でもなかった。(あ・でもゴロクミちゃんは好き。笑)

つよぽんの演技は好きだけど、それほどでもなかった。

気づいたら歌ってるし気づいたら聞こえてくる。

ふつーに面白いからスマ スマ見てた。

当時ファンクラブに入ってた友人から、(多分)1度だけチケットを譲って貰ってコンサートに入ったことがある。

『なーかーいーくーんー!』『はーあーいー!』みたいな掛け声?があったような気がする。(記憶を頼りに調べてみた。恐らく〝BIRDMAN〟っていうツアー。)

ファンとかファンじゃ無いとか、好きとか嫌いとか、そうゆうのを越えてた気がする。

居て当たり前、知ってて当たり前、歌えて当たり前。

だからこそ逆に『気にならなかった』のか、ファンクラブに入ったことなんて無いし、CDを買ったことも一度も無い。

買わなくたって聞こえてきたから。わざわざ観に行かなくたって知ってたから。

あまりに生活に混ざり込んでたからなのか?

ちなみに、彼らの曲はほとんど歌えると思う。

感想!号泣!

友人が草彅君の演技が好きで、チケットを取ったって事で今回の映画に誘われた。

72時間ホンネテレビ(AbemaTV)とか意外としっかり見ちゃってたりしてたから、抵抗感はそんなに無かった。(動向が気になるってのもあった。)

解散が決まってから色々番組を見て、その度『マジかぁ・・・』って思ったりとか、『彼らも会社員なんだもんな・・・』と現実を突きつけられて、何度かジワッと涙が滲んだ事はある。

だけど、号泣って程では無かった。

『彼らが納得したのなら。』って思ってた。

で、今回の映画に誘われて。

そっかー、3人になったんだもんなぁ、ってくらいの感じ。

興味はあるよー。見てみるか、くらいのテンションだった。

結果は・・・、号泣(笑)

メインの話が3つ、って感じの構成?だと思うんだけど、2個目で号泣だった。

メタファー(暗喩)というか。

物語そのものも勿論良かったんだけど、それよりも、3人の生き方を思ったら泣けてきてしまった。

そんなに号泣っていうほどのストーリーでは無いと思う。

だけど私は号泣してた。

たぶん、3人の生き様に、グッときてしまった。

そんなに響くと思って無かったから、ちょっと自分でもビックリ。

そして、楽しそうに歌う香取慎吾を見て、泣いた。

そこで初めて気がついたかもしれない。

こんなふうに楽しそうに歌って笑ってる慎吾ちゃんを、ずっと見たいと思ってた・・・のかもしれない!

なんかよく分らないけど確信みたいな。

『ああーーー歌ってる!楽しそうに笑ってる!幸せそうだ!嬉しそうだ!』

私も嬉しい!!

(号泣)

あの体験は一体なんだったんだろう。未だによく解らない。

ずっと見たかったのかもしれない。ずっと見せてきてくれてたハズなのに。ずいぶん長いこと見てなかった気がした。

大人になってから、まともに彼らが出てる番組を見てただろうか?

彼らがいることが当たり前で、彼らも当たり前の顔をしてソコにずっと居る気がしてた。

結局のところ、私は、彼らが幸せそうにしてる姿を見ていたいのかもしれない。

解散前後、彼らは真剣な表情で、なんとも言えない表情だった。

そんな表情を見てると、『良いんだよ、辞めよう、今時、転職してない人の方が珍しいんだよ。頑張ったんだよ。』そんな風に言いたくなった。

この考え方は私のアイドルを応援する時の基本姿勢(?)となっている。

幸せに生きてくれれば良い。アイドルをやってて欲しいけど、もしも嫌なら辞めれば良い。
どこか違う国で楽しく生きられるならそれも人生。
一度応援したからには、『幸せになってほしい』と応援してる。
出来ることなら人生を謳歌してほしい。

笑っててほしい。

転職にしろ退社にしろ、辞めた後ってその人がどう暮らしてるか、そうまざまざと見ることなんて無い。

例えば辞めたあと楽しそうにしてたら反感を買うから。
辞めてない人に失礼だからって自重したりする。

本当は凄く順調に過ごしてたとしても、あえて『大変だよ』なんて言ってみたりする。(※いや、大変なのは事実だろうが。)

憎まれるから。恨まれるから。

3人は反逆者で、クソ野郎と呼ばれるのかもしれない。

まじめに一生懸命、ひとつの場所で生きてる人からすると羨ましいのかもしれない。

クソ野郎共のつくる世界は美しいのか、

それとも。

真面目に生きるあなたが困った時に。会社を辞めたあなたに、きっと響く。

彼らを見てると、私も何か新しい挑戦をしなければ、という気持ちになる。

たとえ誰かにクソ野郎と呼ばれることになったとしても、自分が信じる『美しき世界』へと身を投じよう、と。

最近ブログでは『正義』とか『サボろう』とか、そんなことを書いている。

端的に表現する。サボるのは、クソ野郎だ。

だけど、もし心が病んでしまって、苦しくて、……そこまで追い込まれてしまったら?

もし心が病む前に『サボっちゃえ!』と息抜きすることが出来たら?

体調が悪くて休んでも、あんまり続けば『サボりだ』と言われる事もある。

真実なんて誰にも解らなかったりする。

果たして、なりたくてクソ野郎になったんだろうか?

クソ野郎として生きていくしか、方法が無かったんじゃないだろうか。

就職しても、死ぬまでの人生が保証されない昨今。

急激な時代のうねりと価値観の暴落。

真面目に生きれば『正解』だった価値観がぶっ壊される時代。

あなたが『クソ野郎』側になってしまう日が突然来るかもしれない。

だけど、クソ野郎にはクソ野郎の世界がある。

その時みえる景色は、もしかすると、想像を絶する自由の世界かもしれない。

---スポンサーサーチ---

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2024 365文

テーマの著者 Anders Norén