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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

見えてる人・見えてない人【コラム】

『幽霊が見える人』

【見えてる人・見えてない人】と言われてまず最初に想像するのは『幽霊』じゃないだろうか。

私は幽霊は見えない。

にも関わらず、幽霊の存在を信じてる。

幼い頃からの友人が『見える人』で、その友人の発言を盲目的に信じていた。

そんな彼女は成長して大人になった。そして出産して暫くすると『見えない人』になってしまったらしい。

私は、それでも『彼女は過去、幽霊が見えていた』と盲信している。

彼女は自分の事ながら、『あれはなんだったんだろう』とどちらかと言えば自分のことなのに信じてないようだ。(笑)

『なんだったんだろう』と疑問に思うのはまた別の話として、彼女の『見えてた記憶』は無くならないと思う。

もしかするとこれからもっともっと年を取っていって『そんなことあったかなぁ』と思うかもしれない。

だけど、彼女の中には『誰にも信じてもらえないけど、私には見えていた』という経験は糧になるんじゃないだろうか。

見えないモノを信じる人

幽霊に関して言えば私は『見えない人』だ。

オカルト好きだと言えばそれまでだが、見たことも無いのにその存在を信じてる。

ちなみに宇宙人も居たっておかしくないと思ってるし、なんなら地底人がいるかもしれないとも思う。

宇宙の果てにだって辿り着けて無いし、地底の底にだって辿り着けてないんだから、生物が居たとしてもおかしくないよね。

そんな風に思う。

『地球は青かった』という事実。

初めての体験は貴重だ。

人間は目でものを見ている。視覚で沢山の情報を得ている。

なので、『初めて見た』という体験は人生を左右するほど大きいだろう。

小さなころは初めてのものが沢山あった。

海、山、川を初めて見るという体験。

たんぼによく居る謎の白い鳥だとか、道の隅に住むホームレス。

初めて見る体験はいつも新鮮でドキドキして緊張する。

『見たことがある』人にはすぐに伝わるし、『見たことがない』人には説明しても信じてもらえなかったりする。

『地球は青かった』というのは今では共通認識だけど、『初めて』それが伝えられた時、みんなそれに驚き、感動したりした。

『地球は青い』と知ってる人と知らない人との間には大きなミゾがある。

写真や動画で見たことがある人には『青い地球みたいにさ』という表現が伝わるし、見たことが無い人にはチンプンカンプンだろう。

見た人と見てない人のあいだには、おおきな川が流れてる。

見える人と見えない人の世界を比べたら、
まったく違う世界が見えてるのかもしれない。

パック飲料、折り畳んで捨ててますか。

さて、何が言いたいのか、ちょっと解りにくくなってしまったかもしれない。

実は今日、とある事に気が付いた。

私は牛乳の代わりに豆乳を飲む習慣がある。


紅茶を飲むのが好きなのだが、牛乳の代わりに豆乳で割って飲むのだ。

いわゆるソイ・ラテ。

そのパックを、捨てる時に折り畳んだ。

すると、『たたんでくれてありがとう』という文字が印字されてることに気が付いた。

初めての体験、驚き。

これは『畳んで捨ててる人にしか絶対に見えないもの』だ。

『ご褒美』みたいな気がして、なんだかほっこりした。

ちなみに、他にもこの『隠れメッセージ』はあったりするらしい。

今まであんまり気づかなかったけど、パック飲料を頻繁に飲む人で、毎回必ず畳んで捨ててる人は気づいてるのかもしれない。

見えてる人と見えてない人

そんなこんなで、『パック飲料』を飲まない人は、そもそもその存在に気が付かないだろう。

パック飲料を頻繁に飲んでいて、折り畳んで捨ててる人の中にも、もしかすると気づいていない人もいるかもしれない。(昨日までの私には、見えてなかった)

そして一番驚くのは、たぶん、頻繁に飲んでるのに『畳んで捨てない人』だと思う。

もう一歩踏み込んで言うならば、『損をしたくない人』じゃないだろうか。

いや、『自分が損する事にうるさい人』かもしれない。

つまり、『知ってたら畳んだのに!』と言う人。

見えてる人には見えてるし、見えない人には見えていない。

なんだか今日はそんなことを書いてみたくなった。

意外なところに、小さな発見は眠ってたりする。

そんな『粋な計らい』を作り出したパック飲料業界に、『ありがとう』と心の中で言おうと思う。

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