365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

やっぱり基本的には音楽と文章の相性は悪い/さっぱり集中できねぇ!!

現在聞きたくも無い音楽を聴かされている状態で文章を書いています。

いや、私は音楽を聴きながら文章を書くのは本来好きなんです。

しかしそれはあくまで『世界観が合っている音楽を聴いている』時に限る。

今は日本語が強い曲が聞きたくも無いのに流れている状態です。

なんていうか、世界をブチ怖しに来る系の音楽なんです。笑

・・・あまりにやかましいので、とうとう部屋を出てしまいました。笑

・・・これで物事を集中して考えることが出来そうです。”(-“”-)”

『言葉が強い音楽』は文章を書くときに向いていない!

文章を書くときに向いていない音楽は、『言葉が強い音楽』だと思う。

つまり歌詞が強い音楽。叫ぶように歌っていたり、言葉を訴えかけるように歌う曲。

日本語は英語など様々な言語の中でも特に『言葉が強い』と思う。

物事を考えているときに、言葉が強い音楽が流れているとまるで集中できない。

思考回路に無理やり入ってきて、考えることを止めさせようとしてくる。

『この想いを聞け!!この言葉を受け入れろ!!』と必死に訴えかけてくる。

普段は楽しめるし好きな音楽も、ひとたび『考えるとき』に入ると途端に邪魔な存在と化す。

音楽って恐ろしい。笑

(※私は本来、音楽は大好きです!!!)

こうゆう時、ヴァージニアウルフの事を思い出す。

ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 – 1941年3月28日)は、イギリスの小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。

「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One’s Ownなどがある

引用:wiki

女性と言うのは、とかく気が散りやすい性質を持っていると時々思う。

女性は気が散りやすい?/逃げる為

と言うのもおそらく、周りに気を配り『とにかく逃げるため』に特化されているのでは無いかと思う。

それは、女性本来の生物的な役割として必然な能力なのではないだろうか。(知らんけど)

メスとして生きるために。生んだばかりの子供が側にいるとき、戦うよりも逃げることを優先する。

守る対象がひとつならば戦ったほうが早いかもしれないが、メスの場合はそうも言ってられない。

守る対象が多い可能性がある。守る対象、つまり子供が複数居る場合もある。

相手がひとりとも限らない。複数居る場合、戦うよりも逃げるほうが生存確率は上がるだろう。

生存確率を上げるためには逃げる能力が高くなければいけない。

戦うための力が無い代わりに、逃げることに特化する。

逃げるにはどんな能力が必要か?

耳が良いこと。素早く察知出来るための観察力。匂いに気づく嗅覚。場の空気を読む力。勘が鋭いこと。

これらの能力が高いほど『逃げる能力が高い』と言えるかもしれない。

そしてそれは違う角度から見ると、つまり『気が散りやすい』のでは無いだろうか。

ーーかくして私は、「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」というヴァージニアウルフに同意する。

いや、ヴァージニアウルフは、私が今感じている『うるせぇ!!いっそもうひとりにしてくれ!』と言う一時の感情よりも、もっとずっと深刻で切実だろうが・・・。(ヴァージニアウルフは幼いころに異父兄から性的虐待を受けていた、らしい。)

ヴァージニア・ウルフ(wikiへ)

とにかく、やっぱり基本的には音楽と文章の相性は悪い!!!と今わたしは思っているのですが。

こうして『集中できえねぇんだよ!!!』と言う文章を書けたのだから、まぁ良い効果もあるのかもしれない。

とは言え、さっぱり集中できねぇ!!

おわり。

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