上手にカメレオンになれれば、争いは避けられる。

目次上手にカメレオンになれれば、争いは避.

上手にカメレオンになれれば、争いは避けられる。

先日の事。

人間関係で神経をすり減らす私に、『出来ちゃうもんね〜』と言われた。

私はいつも、人の目を気にして、誰かの感情を気にして、考えを巡らせてその都度どうにか対処して生きてきた。

その人が言うには、『やろうと思ってやれちゃう(出来ちゃう)から、頑張っちゃうんだろうね』との事。

それに対して私は、『嫌われるのが怖いだけです』と答えた。

そのときは、本当にそう思ったからそう言ったのですが、今改めて考えてみると、私は話を逸らしていたのかもしれないと気づいた。

『やろうと思ってやれちゃう(出来ちゃう)から、頑張っちゃう』

いま思い直してみると、確かにそうなのかもしれないな、と思う。

自分が態度や言動を変えることで、相手の態度や言動も変わる。

自分がそのとき一番『相手を不快にさせない』ように振る舞うことによって、嫌われる事を避けてきたという自負がある。

カメレオンのように色を変えて柄を変えて馴染んだように見せられれば、相手から攻撃される事は無い。

私に『やろうと思ってやれちゃう(出来ちゃう)から、頑張っちゃうんだろうね』と言った人は、
『やろうと思っても出来なかった』という事なのかなぁと、今になって思う。

人に嫌われた事がある人は強い。

『人に嫌われても良い』と思える人はもっと強い。

その人は、私にはとても強く見えた。

『空気読めないから〜』とその人は言ってたけど、そうでは無いように私には見えた。

たぶん、相手の考えや思う事が、ある程度わかっていても無視しているのだ。

それを無神経だと言う人は居るだろう。

だけど、結局自分の身は自分でしか守れない。

だから、それで良いのだと思う。

『相手の考えや思うことが解っても無視する』というのは、私にとってはもの凄く難しい事だ。

見えていたら無視できない。

気になったら何もせずには居られない。

それは私の良いところなのかもしれないが、必ずしも相手の為になるとは限らない。

つまり、場合によっては『余計なお世話』になりかねない。

『ありがた迷惑』ってやつ。

そんな事を今日は思って、少し前に『鈍感力』という言葉が流行った事を思い出した。

ニブさは時に人を傷つける、だけど時に人を救う。

自分で言うのも何だが私は繊細だ。

繊細な自分だから、ニブい人と一緒に居ると傷つく事も多い。

相手からすると多分、大した意味の無い言葉だったり態度だったり。

そう言ったものに傷つきやすい。

そんな私の周りには、おそらく繊細な人が多い。

私を傷つけない繊細な人だから、つまりは相手も繊細な相手。

似たもの同士ってことだ。

だけどふと気が付いた。

時に、繊細な人同士では、よりいっそう傷をえぐる場合がある。

私が過敏に反応してしまった事によって、弱い部分をより一層刺激してしまう。

痛みのある場所が解るからこそ、傷も深く刺さってしまうのだ。

そんなとき、普段は私を傷つける鈍感な人と接すると、どうだろう。

『ああ、この人は解ってないもんな』という気持ちになって、『のんきで良いな』という呆れた気持ちが半分
、かなり気楽に接することが出来たのが半分。

その人の鈍さが私を傷つけたけど、だけど今はこうして救われている。

その人の鈍感さが、果たして生粋のものなのか、作られたものなのか?

誰もそれを知る事は出来ない。

鈍感な人に『無神経だ』と思ったのは確かだけど、果たして『鈍感な事は悪いことか?』と聞かれればそうじゃない。

ほんの少し前の自分に同じ事を問えば、『鈍感さは罪』とさえ考えていたかもしれない。

だけど、今はそうは思えない。『鈍感さは強さ』とさえ考えている。

そんなふうに考えが変わっていってるのは、間違いなく私の価値観が変わってきているからだと思う。

鈍感力とは?今日響いた言葉

さきほど鈍感力だとかそう言った類のものについて調べて居たとき、とある言葉に出会った。

呼んだそのときは『ふーん』程度だったのだが、今になってずっしりと響いている。

そのページにリンクしようとまた調べていたのだが、どうにも辿り着けなくなってしまった。

だからこれはもう私の中にある曖昧な記憶でしか無いのだが、ずっしりと響いた事を、ここにメモしておこうと思う。

・人の感情というのは、常に流れてくるものである。

・どんぶらこ、どんぶらこ・と川の上から流れてくるようなものだとする。

・そうした時に、流れてくる全てのものを拾おうとしては無いか?

こんな事が書いてあった。
それを読んで私は、確かになあ、と納得したのだ。

・流れてくるもの全てを拾おうとすれば疲れてしまう。

・どう頑張っても、全てを拾える訳がない。

・自分に必要の無いものを拾おうとしているうちに、大切なものを見逃して仕舞うかもしれない。

・拾ったところで、それを処理しきれるかどうかは解らない。

・自分が処理できないと感じた時、それをまた川に戻す必要がある場合もある。

そんなふうに今は思えて、『誰かの行動にばかり気を取られていてはいけない』と改めて思った。

まとめ

繊細な自分には、鈍感力って大事だなぁと思った。

いつからか、人に嫌われないように一生懸命になっていた。

だけど嫌われたって良いじゃない。

『こうしたら嫌われない』と対策が浮かんでも、それを無視して自分の意志を通したい。

『こう言ったら嫌われる』と理解しながら傷つきに行くのはとても勇気が居る。

例えるならばボクサーみたいだ。

一歩踏み込めば殴られるって理解しながら、殴られに行って自らのパンチを繰り出す。

それで相手は傷つくかもしれない。

だけど、喰らってばかりじゃ傷だらけになってしまう。

相手にパンチを繰り出すのは悪いことか?

相手を傷つける事は悪いことか?

そんな事を思うけど、『繰り出したつもりのないパンチがある』事も確かだ。

自分がパンチを繰り出したつもりがないのに、相手を傷つけてしまう可能性があるならば、

結局パンチを繰り出そうが繰り出さなかろうが、同じ事なのかもしれない。

おわり!

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This article was written by ねこ