365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

どこまでも人に流されるわたし/ただの駄文

カニはちょこちょこと横歩きで波を越え、大きな波には抗えずに流されていく。

・・・私は蟹座なんですが、ようやく自分で自分の道を進もうと思っていたところだったんですが、見つけた気がしてた『自分の道』さえもやっぱり流されて見つけたモノだったのかも知れない、と思っている。

結局のところ、その時一番身近にいる人の指す方向を目指す事が、『一番の安全な道』に決まっている。

なぜなら、一番身近に居る人には、良い意味でも悪い意味でも一番影響されるから。

私の場合は、もともと人の感情ばかりを読んでしまう性格で、相手の顔色や考え方を読む事で、うまくここまで『無事で』生きてきたと思う。

お陰様(?)で逃げ足は早く、命の危険などを感じた事はほぼ無い。ほぼ無い、と言うのは、相手の顔色を読もうが読まなかろうが関係ない事柄では多少あったから。

誰かに何かを褒められるとすぐに本気にしてしまうのは自分の良いところだと思う。

しかし誰かが相手を褒めるとき、純粋にただ褒める場合はとても少なかったりもする。

褒めた事を認めて欲しいとか、褒めることで仲良くなりたかったりとか、コントロールしたくて褒めて信頼させたりだとか沢山ある。

アホみたいな話だが、今になってその事に気がついた。いや、それも気がついたわけではなく、またバカみたいにネットで検索した結果から、気がついただけだ。

褒めてくれる事はもちろんありがたいことだ。しかし全部を真に受けていたら大変な事になってしまう。

逆に考えてみれば、誰が相手に成功してほしくて『褒める』事をするだろう?そんなひねくれた考えをしてしまうのは良くない事かも知れないがそう思った。

本当に相手に成功して欲しい場合、意外と声は掛けないものかもしれない。

もし、手を貸さなくても勝手に成功しそうな場合は、やはりわざわざ声を掛けたりはしないだろう。

私は相手に『すごいね』と褒めたり、『さすがだね』と持ち上げたりは良くしてきた。
その時は本心からそう言ってるつもりだったが、今思い返して見ると、やっぱり本心だけでは無いかも知れない。

心のどこかで『褒めた私の存在を認めて欲しい』と思ってた気がする。

『褒めたんだから褒め返してよ!』と言うくらい解りやすい望みだったなら、私はもっと早くに自分の傲慢さに気づけただろう。

しかし私はもっと深いところで欲求を欲しがっていたと思う。

『存在を認めて欲しい』とか、『生きる価値が欲しい』と言った、深層心理、人間の根本に近い欲求だったのだと思う。

かくして私が自分に対して見つけた、ひとつの事がある。

それは、『とにかく本当の事が知りたい』と言う事。

『本当のこと』と言うのは考え方の根本。

誰かが何か一言発言した時に、発言よりも『その瞬間、どう感じているか』を優先していると思う。

例え『アイツなんて嫌いだよ』と誰かが言ったとして、『本当は好きなんだな』などと感じてしまえば、思い込みが激しく『きっとそうなんだ』と決めつけてしまう。

それは発言よりも『本当の事が知りたい』と言う欲求から来るモノだと思ったのだが、実際の所はどうか自分でも解らない。

結局のところ、わたしは自分の思いたいように思うし、信じたいモノだけを信じて行くのかも知れない。

終わり

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