「ねぇ、テレビってなぁに?」
「テレビはねぇ、昔はみんな家にディスプレイがあってね」
「ディスプレイ?パソコン?」
「うーん、タワー型パソコンがあるでしょう」
「うん。画面と本体を繋いで操作するパソコン?」
「そうよ。それの画面だけが家にあってね」
「画面だけ??」
「そう、画面だけ」
「それで、何を見るの?」
「テレビ番組を見るのよ」
「テレビ番組?」
「そうねぇ。10チャンネルぐらいあるの」
「10チャンネル?」
「そう、地方によって、放送してる内容も違ってね」
「なんで?」
「うーん、アンテナの電波が届かなかったのよ。地方番組があってね」
「???」
「テレビはねぇ、昔はみんな家にディスプレイがあってね」
「ディスプレイ?パソコン?」
「うーん、タワー型パソコンがあるでしょう」
「うん。画面と本体を繋いで操作するパソコン?」
「そうよ。それの画面だけが家にあってね」
「画面だけ??」
「そう、画面だけ」
「それで、何を見るの?」
「テレビ番組を見るのよ」
「テレビ番組?」
「そうねぇ。10チャンネルぐらいあるの」
「10チャンネル?」
「そう、地方によって、放送してる内容も違ってね」
「なんで?」
「うーん、アンテナの電波が届かなかったのよ。地方番組があってね」
「???」
2XXX年、テレビという存在は既にない。
テレビという存在を、今の若い世代に伝えるのはひと苦労だ。
でも、伝えたところで、今の世代に特になることなんてひとつもありゃしない。
テレビがあるからこそ、いまのネットチャンネルがあるのは確かだけど。
全く知らない世代に、それを伝えるのは本当に難しい。
「過去の遺物よ」
結局そう伝えるしかなくなって、遠くを眺めて言うほかない。
こどもはやっぱり頭上に『?』を浮かべたまま。
それでいいのよ。
きっと、もうそれでいいのよ。
8月28日は民放テレビスタートの日!民放テレビスタートの日をテーマに書いたフラッシュ・フィクション。毎日『今日は何の日?』をテーマにショートショート書いています。–