365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

365 SS 3.29

あの日の出来事が忘れられない—

煌々と燃える家を見上げる。空へ空へと伸びる炎が轟々と音を立てながら、灰色の煙が天へと昇って行く

何かが弾ける音と軋む音が聞こえる
目の前の炎が迫ってくるような感覚
顔の表面だけがやけに熱い
火があたってる訳も無いのに、刺さるような熱

揺らぐ大きな炎と小刻みに揺れる小さな炎が動き回る。そのとき強い風が吹いた。
新しい空気が入って火の粉が舞い上がり炎は一層強くなった。野次馬たちのどよめき、舞い上がる火の粉の赤が散って一層紅く明るくなる—

きれい

お七は駆け出し、火の見櫓(やぐら)へ向かった。

この為に着てきた紅くて美しい綺麗なおべべ。風に舞って髪も服も振り乱しながら辿り着いて、ひとつひとつ梯子(はしご)を登った。

見下ろした町。燃えさかる家が見える。

あぁどうか気づいて気づいて、私の存在に

忘れないで私のことを

火事になるたび私を想って

どうかどうか—

火の見櫓のてっぺんにある鐘を打つ。耳障りなキンキンとした音が町へと鳴り響いた。

あの人にも聞こえるようにと何度も打った。

あの日の出来事が忘れられない—
綺麗に燃える私の家。轟音と火の粉を撒い散らしながら、鮮やかな紅。

煌々と燃える家を見上げる。空へ空へと伸びる炎が轟々と音を立てながら、灰色の煙が天へ天へと—

もっと燃えろあの日のように、すべて失ったあの日と始まった恋よ、忘れられない出来事よ、もっともっと—

ああ、なんてぇ綺麗なんだろう

魅了されたお七を止められる者は居なかった。
静かな恋に風が吹き込んだのだ。
まるで燃えさかる火事のように。

桜の季節だった。強い風が吹く日だった。

お七は、舞う花びらに火の粉を見たのかもしれない。

お七を魅了したのは、炎か、恋か—

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テーマの著者 Anders Norén