『そんなにもあなたはレモンを待っていた』
詩人、高村光太郎が、妻である『智恵子』の姿を綴った「智恵子抄」の「レモン哀歌」と言う詩の冒頭だ。
中学生の頃に知ったこの詩のことを私はとてもよく覚えている。
私が詩に興味を持ったばかりの頃に知った詩だ。
レモンを囓った瞬間、はっきりと意識を取り戻し
智恵子は『正常な時の』智恵子へと還り
一瞬に想いを込めて愛を囁いた。
レモンの黄色さを見ると健康なあの智恵子の腕の力強さを思い出す
レモンの香りを嗅ぐと空の青さが見えるようだ
わたしが書いたわけでもない詩が、わたしの中に埋まっている。
それはハッキリとしっかりと、まるで私の記憶のもののように。
『高村光太郎』の凄さを今でもこうして感じて、智恵子の恐ろしさに気づかされる。
それは恐らく、智恵子であり、高村光太郎である恐ろしさ。
ふたつの魂が混じり合ったような力強さ。
油絵の具の黄色と青が混ざったようなエグさ。
それは溜まった油絵の具のように立体になって、混ざった絵の具の汚らしさのように。