私が好きな方向性はアート(芸術)かもしれない。
アートって言うのは、表現。表現したいものを表現したい形にして発表する。
『売れるだろうか?』とか『理解して貰えるだろうか?』とか、『人気が出るだろうか?』とか、そんな不安がときどきやってくるけど、でも
最終的には『これで良いのだ』となる。
売れなくたってこれでいいのだ。理解して貰えなくたって良いのだ。人気が出なくても良いのだ。
アートと言うのは、そういった方向性でやる事ではないのだ。
けれども、私はたぶん、『デザイン』が得意だ。
デザインが得意だなんて言うと、ものすごく絵が上手なのか?とか独創的なのか?と言うと全然そんな事は無い。
今言う『デザイン』とは、人から依頼されて、『こういったものをこういった形で』を実現することだ。
そこに独自性なんかは(あんまり)ない。オーダーされたもので有る限り、依頼者がいる。依頼者の理想を形にするのがデザインなのだ。依頼者の中に正解がある。そこに私のオリジナリティを入れれば『違う!』と言われかねない。
オリジナリティを出来るだけ出さずに、『ソレっぽく』『ああいうイメージで』『この画像と言葉は絶対入れて』というのを形にするのは、出来る。出来ると思う。難しそうとはあんまり思わない。
でも私は、やっぱり『アート』のが好きかもしれない。
・・・いや、好きとかそうゆう事ではないかも。
私の心の奥底に、アートが根付いているのかも。
私の本質として、『曲げられないこだわり』がある。『理想』がある。『思想』がある。哲学がある。
それが、『お金』という価値だけでは動かされない。お金よりも大事だと思っている。
お金を出されたってYESと言えない時がある。モノで釣られても動きたくない時がある。
既に売れたものに似せた、完成された便利なアイテムより、
未熟でも一生懸命情熱をぶつけて創作したもののほうが価値があると思う。
たとえ売れなくても。1円にならなくても。お金になるとかならないとかそうゆうことじゃない。
お金になるとかそうゆうものじゃない。だからこそ、ときどき物凄い金額が付いたりする。価値が付く場合もあるけど、お金じゃ無い。値段じゃ計れないからこそ、ワケが解らないほど高額になったりする。
付いた価格に固執するのではない。値段は後から偶然ついただけだから。たとえ高額になったとしても、高額だから欲しいと思うことはない。
・・・そうゆう考えが自分の本質にはあると思う。
いや、本当は、ほとんどの人のなかに、お金よりも大切なものは有ると思うけど。
これってアートってことじゃない?
値段が付かない大切な価値。この考え方は、きっとアートだなぁと思う。
私が好きな方向性はアート(芸術)かもしれない