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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

未完成(途中)を見せる羞恥心/ウンコの話

『作ってる途中』の姿を見せるのは恥ずかしい


わたしは昔、絵を描くのが好きだった。

しかしいつからか、『描いてる姿』を見せるのがとても恥ずかしくなった。

『描いてる自分』を見せるのが恥ずかしい、というよりも、『描かれてる途中の絵』を見られるのが嫌だった。

最初から嫌だった訳では無いので、おそらく、昔の出来事がトラウマになってしまったんだと思う。

書かれてる途中、と言うのは、なんていうか『産んでる途中の姿』に似てる気がする。

産む、と言うとまだ美しいが、

より一層理解してもらうために、

ウンコ

という表現にしてみようと思う。

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『自分から切り離す作業の途中』の姿をウンコに例える

例えばウンコそのものは恥ずかしくは無い。

自分のウンコだったとして、それを指差し、『あれはわたしのウンコ』と言うのは、まだそんなに恥ずかしく無い。

しかし、ウンコしてる最中を見られるのはどうだろう。

クッソ恥ずかしいと思う。

※そうゆうプレイが好きとかって場合はまずは割愛する。

自分と繋がってる瞬間を見られるのは、とても恥ずかしい。

なぜだろうか?考えてみる。

ウンコとは即ち汚物。

キタナイという事だ。

そのキタナイものと自分がくっついてる瞬間。しかも、そのキタナイものが自分から出ているという事実。

しかし離れてしまえば、それは最早『他人』なのだ。

『あれはわたしのウンコ』と指差すのは、まだそんなに恥ずかしくはない。

たとえアレがキタナイものだとしても、それは全員が必ずしている事だからだ。

ウンコしてる最中を見られるのは恥ずかしい、という感覚は、なんとも不思議な事だと思う。

排泄する姿は恥ずかしい。躾(しつけ)の問題?

例えば排泄の際にトイレに行く。

排泄の時に、誰にも見られない場所で済ます。

まず生まれてから最初に躾けられることだと思う。

しかし、もし躾けられなかったらどうなるのだろうか?

例えば犬や猫のように。
たとえばハムスターのように。
例えば鳥のように。

人間が生まれて、例えば狼に育てられたら、排泄している姿を見られることは恥ずかしいのだろうか?

わたしは、昔はみんなの前で絵を描く事は恥ずかしくなかった。

いったいどこで、『恥ずかしい』という概念を覚えてしまったんだろう。

考えてもどうしようもないが、今日はそんなことを思っていた。

こんな事を考えたキッカケは……
実は、腹痛で便に悩まされた一日だったから なのだった。

おわり!

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