365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

文句があるから作ることが出来る

正直な話をすると、私は本を読んだことはほぼ無い。

いやいや、本を読まない、というのは語弊があるか。

本は読むが、私が好きなのはノウハウ本や辞書、何かの研究本、雑誌ばかりだ。

つまり『ストーリー』を、自らすすんで読むことが少ない。そういえば絵本もあまり読んだ記憶がない。

ただ、時々気に入ったものはあった。

私自身に記憶は無いが、クマのプーさん、それから魔女の宅急便は延々と繰り返し何度も見ていたらしい。どちらも映像ではあるが、ストーリーと言えるだろう。

母が呆れるほどに見ていたらしい。

記憶があるものでは、もののけ姫。もののけ姫は自分でも覚えてるくらい何度も見ていた。

しかし大人になってからも何度も何度も見ていると、母親に気味悪がられた。

もののけ姫という作品そのものが、内容的に少々暗いというのもあるだろう。

そのころは自分の部屋にテレビが無いのでリビングで見ていたが、家族のスペースという事もあり、もののけ姫は見ないようになった。

見たくなかった訳ではない。あくまで気味悪がられるから辞めたまでだが、そのうち興味もなくなっていったように思う。

何度も繰り返し見たり聞いたりするのは私の癖だ。

音楽もそうだ。

気に入った曲があると、平気で何時間でも聞いている。

学生の頃から音楽が好きで、音楽は友達だった。

当時、まだ高価で、お年玉の機会が無ければ手に入らないようなミュージックプレーヤーを私は自腹で買い、毎朝のように音楽を聴きながら登校した。

私は音楽が大好きで、音楽には何ら文句がない。

好きな音楽は好き、興味のない音楽は聴かないまでだ。

文句はない。どこが嫌いだとか、もっとこうして欲しいという要望がないからだ。

つまり、解らないのだ。

冒頭に戻る。私は物語を読まない。

物語を読むのが嫌いなわけでは無い。

でも、なんだかんだとケチをつけたくなってしまう。

ドラマなんかは見る気が無くてもテレビで流れているから見ることもあるのだが、相当物語が面白くないと見る気をなくしてしまう。

物語によってはすぐに結末に気づいて面白くなくなる。

場合によっては、エンディングで言われるであろう決めセリフのようなものさえ解ってしまう。

ドラマの最終回を見ながら決めセリフを主人公と一緒に発言して、驚かれた事もある。

ドラマであれば、それぞれの役柄を演じる役者に文句を言いたくなる場合もある。

小説であれば、細かい文章表現一字一句に文句をつけたくなる。

自分の思うことが正しいかどうかは解らないが、少なくとも強烈な『好み』がそこにあるのだろう。

『強い好き嫌い』がそこにあれば、自分で創ることが出来るのだろうと実感する。

知人に、小説を読むのが好きな人がいる。

その人は読むことが大好きで、それこそ『本の虫』のようだ。

しかし、なんでかな、その人は自分自身が書くとなると、めっきり出来ないらしい。

不思議なものだ。食わず嫌い無く何でも読む本の虫の知人は文章を書くことが出来なくて、食わず嫌いばかりでぜんぜん本を読まない私はこうして文章を綴っている。

だけど自分自身に置き換えてみると解る。私が大好きな音楽を、私は創る事は出来ない。

不思議なものだ。文句があるから、私は書くことが出来る。

本と読むという事に全然面識が無かったおかげで、まさか自分が今こうして文章を書いているなんて予想もしなかった。

あなたには、『面白くないから』と避けてる分野はあるだろうか?

もしかすると、それは作る側に向いているのかもしれない。

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