誰かにもっと良くなって欲しくて相手に意見を伝えるとき、心の距離がとても近ければ相手に伝わる。
けど、心の距離が遠いと相手には伝わらないことがある。
そうゆうのってすごく残念だ。
日本はとくに『議論』とかが苦手な人種だと私は思う。
『意見』されるとすぐに『否定』されたと思って、『嫌い』になる。
でも、意見ってやっぱり大事だ。肯定ばかりじゃ何も始まらない。
時には厳しい意見を言われて、それを受け入れ進化していく。
厳しい意見を言う人が、本当は一番相手のことを考えているのかもしれない。
相手に『もっとこうして、そしたらもっと素晴らしくなると思うんだ!』と率直に言えたらどんなにラクだろう。
日本人は照れ屋でシャイだから、まっすぐ好意を伝えることが苦手だと思う。
否定的な事を言ってる人は本当に否定派なんだろうか?
それは叱咤激励ではないだろうか。
道に迷った時、誰の発言を信じるかは自分次第だ。
すべての人の意見が軽々と手に入るネット社会の現代。
延々と甘やかしてくれる相手を信じるのは自分。
否定的なことを言う人に合わせて自分を戒めていくのも自分。
どちらが正解だとは言わないし、どちらが正解かも解らない。
だけど、両方の意見を聞いて、自分にとって何が一番有効なのかを判断する力が必要なのだと思う。
何を信じるのか。
自分はどうなっていきたいのか。
どうなっていくかを考えて、どんな意見を自分に取り入れて行くのか。
何が良いか、最終的に判断するのは自分自身だ。
人の意見に流されてばかりでは、自分の中の芯がなくなってしまう。
芯のない食べ物は、果たして美味しいだろうか?
果たして、長く味わっていたいと思うだろうか?
とても難しいことだけど、私も芯を持って、誰かの意見ばかりに囚われずに、自分の中での判断基準を身につけたいと思う。
好き=賛成=支持=肯定を、私はもうそろそろ止めたい。
もし誰かに批判されたとしても、『でも私にとってはコレが大切なんだ』とハッキリ言えるようになりたい。
いい加減もう、大人なんだから、ね。
おわり!