365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

信仰とはなんぞや?

今年ももう一年が終わる。大晦日。

私の今年一年は、なんとも面白いものだった。

5月くらいまでは週5で朝9時から5時まで働く、ふつうの生活をしていた。

しかしそれが一変、体調を崩し、たまったストレスが暴発したのか、ずるずると時間を過ごし、とうとう会社を辞めてしまった。

それからは、ほぼずっとぼーっとしていた。笑

3年に一回くらいある。私は今までもそうして、3年ほどすると体調を崩し、居てもたっても居られなくなって会社を辞めてしまう。

今回も同じような課程を辿り会社を辞めた訳だが、そろそろそんな自分自身に折り合いを付けるべく、自分の人生、ひいては性質を見直そうと、とても良い機会になった。

今までの自分の人生を見直して、私は何かに依存して生きていた事に気がついた。

今までの自分自身に自信を無くし、これからの自分の未来を今更ながら案じた。

自分の幸せとは何だろう?私のやりたいことは何だろう?

そんなことを考える、とても良い機会だった。

世間的にはとっくに子供を産んで育児に奔走してる頃かもしれない。

育児をしている人は、生まれたばかりの子供を育てながら、自分自身の未熟さだったり、人間とはなんなのか、人生とは何なのか。そんな事を見直す機会になるのかもしれない。

私は結婚をしておらず、子供も居ない。友人の子供の面倒を見ることもほぼない。

端的に言ってしまえば、私はヒマなのだろう。

子供時代の自分自身を向き合ったり、感情を見つめ直したりしながら、思い悩んだりしている。

何か困ったことや悲しいことがあったとき、誰かに頼ったりするよりも、私は私と対話して、自分の中で解決したい。

自分が120パーセント納得できる答えは、私自身しか持っていないから。

この年の瀬、仏教でもない人が神社に行ったり、年始を迎えるためのお守りなんかを用意したりする。

悩み事があったとき、困りごとがある時、最後に決めるのはもちろん自分自身だ。

けれど、それを自分でやってみて解ったことがある。

自分だけを信じ、自分だけのおかげにし、自分だけのせいにするのは、心が相当強くないと出来ない。

反省は得意だから、自分のせいにするのは私にとって容易なことだ。
だけど良いことがあったとき、自分に自信を持ちづらい。いや、自信を持つことは出来るのだが、良いことがあると、すぐにその良いことを思い返して、いつまでも執着してしまう。

いつまでも過去の栄光にすがってしまいそうになるのだ。

けれどそれでは、先に進むことが難しくなる。うまくいった時の事ばかりを思い出して、偉そうな態度をとってしまいそうになる。

そんな時、やっぱり『信仰』と言うのは美しいものなのだな、と改めて気がついた。

良いことがあったら神様のおかげ。

悪いことがあったら運が悪かった。次に生かすにはどうしたら良いだろうか?と反省する気持ち。

信仰があると、過去に終着しにくいのだなと気がついた。

私はアイドルが好きだ。アイドルは宗教だと過去に綴った。

だけど、当然ながらアイドルは人間だ。

『物理的に存在するもの』を信仰するのは、とても難しい事なのだと思う。

物理的に存在すると、ちょっとした事情で信仰はもろく崩れ去ってしまう。

同じ理由で、自分だけを信じようとすると、物理的に存在するから、やはりちょっとした事情で悲しくなってしまう。

信仰というのは、正しく使えば美しく、自分の成長のために良い効果があるのだな、と気がついた。

そんな年の瀬。

今年も一年、ありがとうございました。

おわり!

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