コトバに出来ないナニカ
言葉にする、というのは大変な事だ。
それは『名前を付ける』事に似てる。
小さな小石に名前をつける。名前が無い時、それはただの小石だ。
アレとかソレって呼ぶかもしれない。
『もう、いったいどれのこと?』
『だからコレ!ここだけ尖ってて端っこだけツヤツヤしてるの。
だからコレは、ツヤ太郎!!』
例え話としてはちょっと強引だったかもしれないが、つまりそうゆう事だ。
ツヤ太郎、と名付けられた瞬間からツヤ太郎はツヤ太郎となる。
沢山の小石に混ざっても、ツヤ太郎を見つけ出すことが出来る。
それはもう小石じゃない、ツヤ太郎だから。
今度はもう少し難しい例えにしてみよう。
例えば『同調圧力』という言葉を小さい子供に理解させるのは難しいんじゃないだろうか。
だけど、なんどもなんども『キモチノワルイ感覚』を味わって、ようやくその気持ち悪さに気が付く。
『あっ、コレ、同調圧力ってヤツだ。』と理解する。
その瞬間から、同調圧力という存在に対して急に敏感になる。
上司から感じるなんとも言えない『俺が残業してるんだから、お前もまだ帰らないよな?』という気配。
『上司が帰らないんだから、俺たちなんて帰れるわけないよな〜?!』と共有しようとする同僚の『道連れ』感。
たぶん、太古の昔、原始人、ネアンデルタール人とか、そんな時代には『同調圧力』なんて言葉は無かっただろう。
最初に同調圧力、と名前を付けた人は、本当に凄いと思う。
ボンヤリして、だけど引っかかるモノ
同調圧力しかり、『なんだろう、この感じ、前にも似た何かがあったような…』そんな現象は沢山ある。
同調圧力、なんて名前がついてるモノはわかりやすい。
言葉を通じて、その現象を伝えることが出来るから。
辞書に載ってる言葉は、誰かが既に説明してくれ解明してくれてる現象だ。
だけど『名前がついてない現象』はまだまだ無数に有ると感じる。
『なんか気になる』という状態。
『なんかモヤモヤする』という不満。
そう言ったモノには大抵ナニカがあると思う。
だけど、それをうまく言葉にできるかどうかは、別の話だ。
ブログを書くようになって『言葉にしたい欲』が出てきた。
最近ブログを書くようになって、そういった『なんかうまく説明出来ないナニカ』が自分の中に沢山ある事に気がついた。
うまく説明できないのは単に知識が足りないからかもしれない。
例えば心理学や哲学に、専門的な言葉は山ほどあるのかもしれない。
だけど専門的な言葉を使ったところで、それがあまりにマニアックだったら伝わらないかもしれない。
マニアックだったとしても、『同調圧力』なんて日常会話で使うようなレベルにあれば伝わるかもしれない。
どんなふうに書いたら沢山の人に伝わるのか。
伝わることを優先するなら、バカっぽい言い回しになっても良い。
ブログを書くようになって、『言葉にしたい欲』が出てきた。
なんかモヤっとするナニカ。キモチノワルイ何か。
そう言ったモノを表現しようとした時、意外と『人に聞いちゃう』のが良いと気がついた。
あえてソレを誰かに聞く。
誰かに聞いたって、答えなんて教えてくれないし!と怒ることなかれ。
なにも正解をドンピシャで教えてもらおうという事ではない。
懸命に誰かへ『ソレ』を伝える事で、思いもよらない言葉が自分から出てきたりするのだ。
『うん、どんな?』
『なんかモヤモヤする感情で…、』
『嫌な気持ちってこと?』
『嫌って訳じゃないんだけど、なんかこう、どちらかと言えば嬉しくて』
『嬉しい?誰にされて?』
『いや、誰かに直接なにかされたわけじゃなくて…』
そんな風に話を進める。ヒントになるような単語を出来るだけ口に出す。
相手は『なんだそれ?』と困ってしまうかもしれない。
だけど案外、相手からの質問で、答えが見つかったりもする。
いや、答えが見つからなかったとして、『良い例え』が出てくるかもしれない。
『あー、こういう事を言いたかったんだ私は!』と閃く。
それからは怒涛の『いま書かなきゃ!早く書かなきゃ!忘れちゃう!』という謎の使命感。
誰かに説明する事で、思いもよらない答えが見つかるかも。
先日、まさにそうゆう現象が起きて、最近はソレをあえて使おうとしてみてる。
答えが見つかる時もあれば見つからない時もある。
話が突飛な方向へ進んで、収集がつかない時もある。
だけどなんだか謎の満足感を得たりする。
結局、人から影響されて、人は何かを考えるんだと言うこと。
不安だったり怒りだったり妬み嫉みだったりもするけど、誰かと話すことで落ち着いたりもする。
人間ってホント勝手なんだよな、
と思った今日この頃。