『わからない』は疎遠される。
みんなわかりやすい物がすきだ。
みんな知ってるものがすきだ。
みんな経験したことがあるものが好きだ。
なぜなら、知ってるから。
解ってるから。
怖くないから。
対応の仕方を知ってるから。
みんな『わからないもの』は嫌いだ。
一方、みんな『わからないもの』は嫌いだ。
見た事のないものは面倒だ。
知る事って大変なんだ。
理解するって難しいんだ。
だから、『解らない』ものはみんな嫌いだ。
わからないものは怖いから。
わからないものは、どう対処したら良いか考えなくちゃいけないから。
正解を自分で見つけに行かないといけないから。
億劫だから。
失敗する可能性があるから。
『わかりやすい』は『優しい』?
わからないものは嫌い。解るものはみんな好き。
そうなると、じゃあ『解る』って正義なのか?と考える。
解ることは正義なのか。
解らないは、失敗なのか。
みんな、わからないものは怖いし、やりたくないし、逃げ出したい。
だから、わかるものが好きだし、やりたいし、もう一回!って頑張ろうとする。
そう、ほんとは、みんな『解ろうとしてる』ってことだ。
みんな『わかりたい』と思ってる。
みんなが『解りたい、理解したい、知りたい』って思ってるんだから、つまりは
『解りやすい』は優しいってことなんだと思う。
『わからない』を越えるときは苦しい。
わからないってイケナイ事なんだろうか。
最近、そんなことを考える。
『わからない』は確かに難しいし、大変だし、解るまで不愉快だ。
だけど、全ての物事は、最初は『わからない』ハズだったもので。
世紀の大発見とか。
地球は丸いとか。地球は青いとか。
今は当たり前みたいに言われてるけど、最初はみんな納得しなかったわけで。
最初はみんな信じられなかったわけで。
そうゆう『解らない』を越えた時、もしかすると、物凄いエネルギーが発生するのかもしれない、なんて思う。
解らないを越えた時、あたらしい『解る』の発生。新しい何かの始まり。
新しい始まりはみんな怖いしやりたくない。
だけど、やっぱり、新しいものを生み出す時は、なんでも苦しくってシンドイのかもしれない。
そうして一生懸命生み出したものは、ものすごく、愛着が湧くのかも知れない。