今日、なんともなしの流れで図書館へ行った。
別に本を借りる気なんか無くて、ただ通りすがるだけのつもりだったけど、ふと『クリエイターになりたい!』というタイトルに惹かれて引いてみた。
黄色い背表紙に赤い文字でとてもよく目立っていた。しかしそれ以上に、『クリエイターになりたい!』というタイトルに惹かれたんだろう。
数ページ読んで見て、『私にはクリエイターしかない』と思っていた。
目次
現在、ニート
現実として私は現在ニートで、今後もどうなっていくのかは自分でも当然解らない。なんの実績も無い。それでいて文章の書き方を誰かにきちんと学んだ訳でも無い。私が培ってきたものはほとんど独学。自分から興味を持ったモノでなければ見向きもしないのが自分の性質だと思う。
最低限の知識は基本的には幼稚園、小学校、中学校、高校で学んだ。教養は遊びから、あるいは親から、漫画から得た。想像力は誰かの感情や雰囲気や考え方を受け取る事で拡張した。
私が得意なモノは、0を1にする類いのモノでは無いと思う。無から有を生み出せない。しかし、1を10のように見せる技術や、拡張する術、進みたい方向へと進める為の道標となるものを配置していくのが好きだ。恐らく向いていると感じる。
コレを表現するならば、クリエイターよりもどちらかと言えばサポーターなのかもしれない。しかしサポートには限界があると感じた。
隣に居て指図してしまうと、人は思いも寄らない方向へ進んでいってしまう事がある。あんまり丁寧に繊細にサポートすると、ふと気がついた時に依存させてしまっている場合がある。
依存させてしまえば、じき洗脳になるだろう。私がしたいのはそうゆうモノでは無い。もっと大きくて揺るやかで、隣に居なくても響くような、助けて欲しいときに出会う存在のような・・・。
自分から届けに行く熱烈さや強烈さや新鮮さは無いかもしれない、だけど、ヘンデルとグレーテルのように、落ちているお菓子を辿っていったら存在するような、そんなモノになりたい。
ふと気付けば、そういった文章を書きたいと思って、物語としてただ置き続けてるような気がする。
果たして私は、クリエイターに向いているんだろうか?
それは解らない。だけど、少なくとも、この世のどこかにいる誰かに、出会って貰えると良いなと思う。
『クリエイターになりたい!』と言う本に書いてあったこと
実はこの文章は、上記の本をまだ半分も読めていない状態で書いている。
なんなら3分の1程度にも満たないかもしれない。
目次はとても簡易だ。
序章 なぜ創る?
第一章 トップスター
第二章 職人
第三章 ゲームチェンジャー
第四章 繊細な魂
第五章 活動家
終章 すべてのタイプのクリエイターたちに
謝辞
この中で、私が目を通したのは
第四章 繊細な魂 と
序章 なぜ創る? の数ページだ。
私は自分の事を『繊細』だと思っていなかった。と言うか、『繊細』と言う言葉が悪口だと思っていた。良くない事だと思っていた。弱い存在だと信じていた。ただの『格好つけの言葉』だと思っていた。
友人がちょっとしたことで泣いてしまったときに、周囲に居た人間がみな驚き、距離をとってしまったのを見てしまったのだ。
自分が受けた訳では無いのに、涙を流す友人を見て、可哀想だと思った。痛々しく悲しげで、友人はその日そのまま帰ってしまった。
その体験はとても強烈だった。子供ならばまだ解るが、18歳くらいだろうか、それくらいの子が、まさか悪口とも取れないような事を言われて泣くと思わなかった。その場の雰囲気もそれほど悪く無かったと思う。イジメも無かったと思う。しかし、それでも本人にしか解り得ないナニカがきっとそこにあったんだろう。
泣いてしまった友人のことを『面倒だ』と言う人も居た。本人は不在なので、その場に残された何ともイヤな空気感と居たたまれなさが残った。
それを見て、『私はああはなるまい』と知らず知らずのうちに思っていたのかも知れない。
他人の感情ばかりを見ていたからか、私は自分の感情の出し方はいつの間にか二の次三の次になっていて、いつしか出し方すら解らない。
自分の感情に強く頑丈で重たい蓋をしてしまったからか、開け方すら解らない、開くことさえ忘れてしまったのかもしれない。
いつだったか、まだかなり幼い頃の私の発言に母親が『繊細なんだなぁと思った』事があったらしい。
すっかり感情の扉があったことさえ忘れてしまった私は『私が繊細?まさか』と言った。強がりでもなく本当に解らなかったのだ。『それだけで繊細なの?』と他にも『繊細エピソード』があるのか聞いたくらいだ。
めぼしい情報を得られないと思った私は自分の事を『さほど繊細では無い』と決めつけたが、今こうして考え直してみると、やはり繊細だったんだろう。
ある時、尊敬する師が出来て、憧れに少しでも近づきたいと文字を連ねていた。いつしか文章を書くことに魅力を感じて、趣味として気付けば何年も続けて居る。
最初は言いたい事や伝えたい事が何にも書けなかった。だけど書けないなりに表現を考えて、少しでも正しく相手に伝わる文体を思って書いた。
少しずつ書けるようになってくると嬉しいもので楽しくなっていった。同人という特殊な環境もあり褒めて貰える事があり自信がついた。そうして今、私は、『書くこと』もとい『伝える事』もとい『表現すること』をしたいと思うようになった。
小説家でも良い、もしかすると小説で無くても良いかも知れない。
とにかく、誰かのナニカになるものを・・・。そう思っている。
『クリエイターになりたい!』という本を借りたのには理由がある。
私はクリエイターに向いてないんじゃないか?と思ったのだ。しかし数行読んでみて気持ちが180度変わった。『私はクリエイターになるしかない』とまで思った。それを確かめる為に借りた。
果たして、私はクリエイターに向いてるのかどうか?はいまだに解らない。本を見る限り向いてそうな気はするが、最後に決めるのは誰でも無い、自分だと思う。
私が創る理由
『クリエイターになりたい!』の序章には『なぜ創る?』と言うタイトルが付いている。
この文章を読んで、私はなぜ創るのだろう?と考えてみた。
正直なところ、自分が『なぜ創るのか?』は後回しにしていた。
御託を並べた所で、『いいから創ったものを見せろ』と言われてしまうような気がしたからだ。
『なぜ創るのか?』を後回しにして、『とにかくまず創ったモノを出さなければ』と言う気持ちになっていた。
だけど、そもそもクリエイターなんて明確なカテゴリーはきっと無いし、理由がなければ選ばない職業だとも思う。
つまり、それだけ『○○だから私は創るんだ!!』と言う強い意識が必要だったんだ。後回しにしていたけれど、何よりも最初に突き詰めて考えるべきものだったのかもしれない。
果たして私は小説家になりたいのかは今になっては解らないが、しかし、やはり『物語という世界を通して、相手にナニカを渡す』のが一番自分がやりたい事だ。
まっすぐ届けるのではなく、物語という世界を使う事で、より一層やわらかく、繊細に、必要な人にだけ届くようなナニカ。
【小説】と言うくくりに捕らわれず、そういったものを人に届けたいと思う。
あわよくば、誰かがより一層、自分らしい道を辿れるように。
街頭の明かりになって、道標になるように。
それが、私の書く理由だ。
おわり
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