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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

弱音についてダラダラと考えるだけのブログ。

『弱音を吐かない』!!!

とよく言いますが、弱音を吐かないってのはそんなに偉い事なのでしょうか。

と言うわけで、弱音について考えてみた!!

弱音を吐いてはいけない?

『弱音を吐かない』という事は素晴らしい事だと言われます。

基本的には、弱音を吐かないと偉いとかスゴイとか褒められます。

弱音を吐かない事はそんなに偉いのか??

なぜでしょうか。

私は昔、あまり弱音を吐かない性格でした。

他人に弱音を吐く意味がないと思っていたから。

弱音を吐いたところで、相手から欲しい言葉を貰える訳ではないから。

いい感じに弱音を聞いてもらえないから。ちゃんと慰めて貰えないから。

つまり、弱音を吐く相手を信用してなかったし、信頼できないと思っていたんですね。

あまりにも愚痴とかを言わないから、親しい友人から『愚痴を聞かせて欲しい』とか『私はあなたの役に立てないの?』と言われたこともあります。

『私はあなたの役に立てない?』……そうなのかもしれません。

親しい友人はそんな風に言ってきた訳ですが、私なりに弱音を吐いた事もありました。

しかし、私の弱音や相談を軽くみていたんでしょう。友人には『弱音』と認識されていなかった。

事実、弱音を吐いた時に『そんなこと気にすること無いよ!』と笑われて終わった事もありました。

果たして友人は、なぜ私の弱音を聞きたかったんでしょう?

『自分の存在が必要だと確認したかった』からなのかなぁと私は感じました。

私からの弱音を聞くことにより、自分が安心したかった。

弱音は、ある人にとっては勇気になるのかもしれません。

弱音を吐くと、誰かの不愉快になる?

『弱音を吐いてはいけない』と言う場合、たいていは『面倒』だからなのだと思います。

慰めるのが面倒。疲れる。しつこい。

誰かを勇気付けたり慰めたりする場合、本人に元気が無いと出来ないと思います。

つまり、誰かの弱音を聞くと言う事は体力も気力も必要なのです。

上記でも書いたように、ときどき『誰かの弱ってる姿を見てパワーを貰う』パターンもありますが、
そうでもない限り、誰かの弱音を聞くのは疲れる事です。

相手の言ってることに同調したり、褒めたり、勇気付けたりは疲れることです。

ときどき、弱音を言い始めたのに、聞かせた相手が更に弱音を吐いて、慰めて貰うつもりが慰める事になったりもします。

そんな時は、弱音を吐くつもりだったのに
うまく感情を発散させられず、がっかりしたりやるせなくなったりもします。

さて、こんなことを考えていると、果たして
弱音は吐いてはいけないことなのか?
弱音を吐いても良いのか?
わからなくなってきます。

……唐突にこんな事を考え始めたのは、今日は弱音を吐きたかったからです!

しかし、『今日のブログは弱音を書きたい』と思った時、『弱音なんて吐いちゃダメだ!書くべきじゃない!!』とも思ったのです。

(´・ω・`)

(`・ω・´)

おわり!

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