嫌なことがあった。
完全にやる気を失った。
目次
やる気を失う原因
ひとえに〝やる気を失う〟と言っても、原因は色々ある。
・嫌なことがあった。
・受け入れがたいことがあった。
・誰かに認めてもらえなかった。
・悲しいことがあった。
・慰めてもらえなかった。
まぁ色々ある。
ちょっといまは私自身、とてもストレスを感じている。
まぁ時々は仕方が無いさ!
まあ、やる気がなくなるのは仕方が無い。
生きてるうち、ずっとハッピーな訳がないのと同じで、ずっとやる気があるわけじゃない。
時々は気が乗らない時だってあるし、嫌なことだってある。
つねに明るくハッピーでいられたらそりゃあ幸せかもしれない。
だけどずっとはやっぱり難しい。
ずっと笑顔の人は、それはそれで我慢してる可能性だってある。
心の奥底から、つねに〝私は幸せ〟なんて思えるひとはもちろん素晴らしく出来た人間なんだろうけど、少なくとも私には無理。
私の場合は、頑張ったら頑張っただけ、心が泣いてしまうから。
表面に表さないだけで内面では泣いているし、表面に見せないよう努力すればするほど心の中には悲しみばかりが降り積もる。
人生、一生あるうち、一年で365日。70まで生きるとすれば25,550日。
時間にして613,220時間。
そんなにあるんだから、時々はやる気がなくなる瞬間があったってしょうがない。
でもこうして数字にしてみるとわかるけど、思ってたよりも随分短いものだな。
相手に癒してもらおうだなんて怠慢
やる気が無くなったとき、悲しいとき、つらいとき、どうしたら良いんだろうか。
自分の悲しみの発散をどうやったら良いだろうか。気を紛らせるのは根本的な解決になってない。
その場だけやり過ごすのは結局また同じストレスを受けるだろう。
悲しいかな、結局自分を癒してあげられるのは自分しかいない。
誰かに癒してもらおうだなんて怠慢だ。
優しい言葉をかけてほしいなんて傲慢だ。
相手にだって相手の感情があるわけだから、相手に頼ったって仕方が無いのだ。
なんでもかんでも自分の思い通りに他人が動いてくれる訳ない。
相手に期待したって無駄だ。なぜなら完璧なイメージが自分の中にあるからだ。
相手に対して、自己犠牲のもと、相手のために何かをやってきた人ほど、相手にも望むものは多くなるだろう。
自己犠牲で相手に尽くしたのだから、私のも同じように自己犠牲をしろ、というのは無理な話だ。
もし自分にとってとても都合よく優しい言葉や癒しのことばばかりを並べてくれるひとは、相手自身が〝自己犠牲のひと〟だと思う。
自己犠牲の相手と、それに甘える関係は、不健全だ。いや、お互いそれで幸せなら良いのかもしれないが……。
私の場合は、嫌なことがあったとき、こうして文章にぶつけることにした。
そもそも日記と言うのはきっとそうゆうものだろう。ブログは世間様に見えるのだから多少は配慮したいものだが。
自分の守り方
結局のところ、自分を守るのは自分だけだ。
自分の感情を、出来るだけ正しく読み取ってあげる。
自分が思っていることを、素直に受け入れてあげる。
真面目に文章を書いているとときどきふと色んな事がどうでもよくなる瞬間がある。
ここまで真面目な事を書いていてい急にあれだが、ときどきふと、色んなことがどうでもよくなる瞬間がある。
真面目に文章を書いてる人。
毎日毎日バカみたいに文章をつづっている人。
誰かが読んでるわけでもないサイトにこうして記事を投稿してるバカみたいな自分。
どうせたいして読まれるわけもないのに、いちいち丁寧な文体に気を付けて記事をかいている自分。
ばっかみたいだ。
こうゆう気分に一度なってしまうと、どこまでもネガティブになってしまう。
ネガティブになって今うのはヒマがある人がやることで、趣味なんだろうという持論がある。
つまりわたしはいまヒマなやつで、ネガティブになるのが趣味なやつなんだろう。
自分で自分を見下したくなる。毎日バカみたいに記事書いててなにやってんのって。誰も見てないこんなサイトに記事を書いてて何がしたいんだよって。
そのうち自分をバカにするだけでなく、周囲にもぶつけたくなってくる。
毎日記事を書いてる私がバカみたいなんだから他の人だってそうだろって。
そうして無性に他人を傷つけたくなる。
傷ついた他人を見て優越感にひたりたくなる。
傷ついた他人を眺めて自分の傷がほんのすこし癒される。
嫌な人間だな、私は。
ひとしきり当たり散らしたら自分を慰めてあげよう
こうしてひとしきり当たり散らしてみると、最後に残るのは虚しさだ。
自分の愚かさと虚しさが残る。
ここで悲しみに暮れて悦に浸るのもそれはそれで良いかもしれない。
そういった趣味の人もいるだろう。
他人にあたってみてもどうしようもない事に気づく。
悲しみに暮れてても悲劇のヒロインに酔うだけだ。
どうせ物語の中のキャラになるなら、良いキャラになりたいと思うのが人間じゃないだろうか。
最後の最後には立ち上がって、何も言わずに一歩足を踏み出すだけで良い。
他人に当たり散らして誰かを傷つけたくなるほど、自分は傷ついたんだと認めよう。
それだけ、悲しくて、泣きたい気持ちになったんだと自分を受け止めてあげよう。
それだけ傷つくことが出来る情緒豊かで繊細な自分を褒めてあげよう。
大丈夫、毎日雨が続かないように、晴れ間が見える日もあるのだから。