365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

人の記事をパクり、リライトする相手に思う事。

先日びっくりな出来事に遭遇した。

私が書いた文章が、(おそらく)リライトされて記事として載っていた。

リライトされて記事として載っていたサイトは、商業っぽいサイトだ。

悔しいことに私が書いた内容だけで一本の記事として上がっていた訳ではなく、
後半は違う内容。

おそらく私の記事と誰かの記事を足したんだろう。
※後半の記事は見たことが無い内容だったので、あくまで憶測だが

『そんなん勘違いじゃないの』という人もいるだろうが、ここではソレを精査しない。

ひとまず、今回いろいろ思った事があるので、まとめてみる。

人の記事をパクり、リライトする相手に思う事。

リライトされて腹が立ったが、全てが『悪い出来事』だったのかと言えばそうでも無いと感じた。

という訳で、今回色々思ったこと。

・記事を書く能力の自信になる。

自分一人で文章を書いていると、なかなか反応が無かったりする。
それは自分自身の能力が足りないから。
しかしネットの世界は『能力』と一言で表せないほど奥が深い。

誰かに評価して貰えるほど有名になるのは、多方面の知識と能力が必要だ。
そんな中『パクられた』という事は、一種の『評価』になると考えた。
色々考えた結果、『パクる価値がある記事を書けている』という自信になった。

・ダメ出しとして利用できる

『どこをパクられたか?』『どの記事はパクられてないのか?』そういった意味で、自分の何が良くなかったのか?反省する材料に出来る。
相手のサイトを参考にすることで、自分のサイトに何が足りないか?を判断するのだ。
相手のサイトが普段、どんな記事をアップしてるのか?相手のサイトを見れば見るほど、目から鱗になる可能性がある。
ついでに、『今度どんな記事を書くのか?』という参考にもなる。

・『やり返す』のは良くない。

リライトされると腹が立つ。
一生懸命打った文章をリライトされて使われていると、悲しくなるし虚しいし怒りたくなる
しかしそこで『やり返してやる!』とやっきになってはいけない。
正しいやり返し方を知らないのに、闇雲にやり返すのは良くない
そんな事をすると、自分の価値を下げるだけだ。
グッとこらえて、相手サイトの記事は、あくまで参考にするに留める。

もしくは、自分なりに勉強して、正攻法でやり返す。最終的には、それが一番良いかもしれない。

・相手の記事やサイトなどが全く参考にならないなら、直談判する。

相手の記事やサイトが全く参考にならないなど、自分に不利にしかならない場合もあると思う。
泣き寝入りしたくもなるが、そんな場合は、相手に直接言う。もしくはSNSで発信する。
ネットがある今どきは、個人でも十分戦う方法があると思う。
勝算があるなら、いっそ訴えるのもアリなのかもしれない。

・個人にしか出来ない方法でやりぬく

対抗して負けないためには、最終的にやはりこれしか術がないと感じた。
個人にしかできない方法で、自分にしかないやりかたで、ひたすら記事を書いていく。
相手にマネできないくらいの方法で自分を高めていけば、勝てる機会はある。
ネットがある今どきは、個人でも戦う方法はいくらでもあると思う。
結局のところ『オリジナリティー』しかない。
誰が見ても『あぁ、この文体はあの人』と思ってもらうしかない。

・『使い捨てライター』最近見ないなぁ

少々キツイ言い方をするが、『ライター』と言う存在が、昨今かなり『良いように使われてる』と感じる。

私は自分が『ライター』だとは思ってないし、お金を貰えるほどの良い記事を書けているかは解らない。

だけど確かに、『文章を書きたい』という気持ちがある。脱サラして『自由に生きるブロガー』に憧れている

そんなとき、『フリーランスのライター』という存在は、どんなものなんだろうか?考える。

最近、『フリーランス』の仕事を垣間見る瞬間があり、『これは酷い』と思った出来事があった。

果たしてそれで良いのか?そんな足元見られて良いように使われて良いのかよ!?

私個人で思うのはもちろん勝手だと思うが、どう見ても悪い条件を呑んでいる誰かを見かけて、何とも悔しい気持ちになった。

・今後の自分自身の身の振り方は

さて今回いろいろ思う事があり、良い経験になったと思う。

先日私は、『ズバ抜ける力』と言う書籍を買った。


その書籍を買ったのも、こういった『自分の記事をパクられたっぽい』という出来事に対して、負けたくないという気持ちになったからだ。

偉そうなことをウンヌン言ってても私はただのフリーターで、まだ何一つ報われて無いかもしれない。

実績も無いのにあーだこーだ言ってて、自分の事ながら『良いご身分だな』とも思う

これから自分だけの自分が行く道を探してあがいてみたい

楽しく生きても苦しく生きても辛くても、どうせ一回しかやれないんだから。

そんな事を考えた。

 

おわり。

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