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365 SS 12.14

「南極って……いつもこんな、寒いんですか?」
受け取ったカップで指先を温めながら問いかけた。呂律も凍ってしまいそうな極寒。

「……今日は、あったかい方だけど」

チラリと目線を上げるもんだから目が合った。ハッキリ意思を伝えるような強い眼力のあと、男はすぐに下を向いた。

丸く切り取られた氷の穴へ続く糸が、細々と風で揺れている。

「……静かですね」

そう問いかけると、小さな声で、うん。と男は答えた。

ここは流氷の上。
辺りに自分たち以外の人間は居ない。大陸の最果てに薄明かりの気配が覗く。もうすぐ夜明けが来る。

そうしたら明るくなった空にヘリコプターが飛んできて、捜索隊が〝大丈夫ですか〟なんて聞いてきて、それに〝大丈夫です〟って答えるんだ。

絶対大丈夫って確信があった。自分には帰る場所も待ってる人もいる。家へ帰れば暖かいスープを作って迎えてくれる彼女もいる。

自分はこの男にお礼を言って、それから、なんて言うんだろう?

〝お元気で〟?
〝また会いましょう〟?
〝さようなら〟?

自分たちの周りには何も無かった。
遮るビルも優しい公園も外観を汚す電線も、何にも無い平坦な氷の上。

無言のままの横顔に、揺れる炎の陰が揺らぐ

長い間強い風に晒されてるからだと思う。彼のダウンジャケットはボロボロで、いつから履いてるのか解らないブーツや汚らしい分厚いグローブも、いったいいつからここでこうして過ごしてるのか?昨日今日じゃない、もっとずっと長い年月を感じさせる。
静かにただ時間が過ぎるのを待ってるみたいに生きるこの男は、いつからどうやって、どうしてここに居るのかも、教えてくれる気はなさそうだった。

出会ってから半日くらい。意識がない俺をどこから引きずって来たのか、それとも彼がここへやってきたのか。
この人は今の今まで俺に何一つ聞いて来ない。
パチパチと言う耳障りな音で目が覚めて、少し離れた所でその男は火を見つめながら静かに佇んでいた。
まるで何年も前からそうしてたみたいに小さな椅子に座っていて、慌てて起き上がった俺の事も、まるで最初から〝居る〟のが当たり前みたいな顔で驚きもしなかった。

〝ここは?〟そう聞いた俺に〝氷河の上〟。〝あなたは?〟と言う問いには答えて貰えず、それから話をする気がないんだと察して聞くのはやめた。

歓迎されてないのかと思って逃げ出したくもなったけど、見渡す限りの星空とまっすぐ続く氷だけで行くあてもない。
きっと助けてくれた事に変わりはないから良い人なハズだと思って、ただ一緒に居た。会話と言える程の会話は全くしていない。

小さな炎で暖められて出来たホットコーヒー。

飲みきるとカップを回収されて、何も釣れなかった釣り竿を仕舞い始める。移動するのかと思って腰を上げた。
立ち上がった俺を見て、男は遠くを指さした。
何にも無いように見える遠くを指さして、「あの山を目指して歩け」と行った。
空は少しずつ明るくなっていて、指が示す先を見ると小さなでっぱりが見えた。
小さなでっぱりはあまりに小さかったけど、確認する必要も無いくらい他にそれらしいものは無い。

「あなたは行かないの?」

小さなでっぱりは随分遠い。きっと歩いたら何時間も掛かるだろう。
一人でそこへ向かう心細さでそう問いかけると、男は首を振った。

〝なんで?〟と聞きたかったけど、その男が持つ空気にやられて言えなかった。
〝聞くな〟と言われてる気がして聞けなかった。

彼は分厚いグローブのままポケットに手を突っ込んで、何かを取り出すと差し出した。
多分それは小さな小石だった。俺はきっと、不安そうな顔をしてたんだろう。

「大丈夫。これがあれば」

絶対的な自信を持ったような声で男はそう言った。
そうして、男は荷物をまとめて、逆方向へ歩き出した。
少しずつ歩を進める背中

「……一緒に来る?!」

そう叫んでいた。
男は歩を止めて振り返り、大きく手を振った。
朝日に照らされ笑った皺が陰をつくって、そのときようやく彼の顔をまともに見た気がした。
分厚いモコモコのダウンでフードをしっかり被ってるおかげで、頭の半分も見えない表情。
考えてみれば彼の顔の100%は知らなかった。

朝日に照らされ笑った目尻は、いまも鮮やかに覚えてる。
白い世界と黄色い朝日と、強い日差しで作られた陰は、すごく鮮やかに見えた。

小さなでっぱりは近づくにつれ大きくなって、そうこうしてるうちに、でっぱりよりももっとずっと手前に建物があることに気がついた。
きっとこれで大丈夫だと言う安心と早く行かなきゃという焦燥感と、ここでは死ねないって気持ちから鼻の奥が熱くなる。
見上げた先にある小さな建物に人が居るのが見えて、嬉しくなって走って躓いて転んだ。

笑われた気がして振り返った時、黒い背中はもう見つけられなかった。

そうして俺は無事に〝住人〟に手助けされて、無事帰国して今もこうして生きている。

寒い冬の夜、こんな風にストーブの前へ座り、ホットコーヒーを飲む季節になるたび、思い出す。
あのとき彼が助けてくれなかったらきっと死んでいただろう。
〝住人〟に〝彼〟の存在を聞いたけど、〝幽霊でも見たのか?〟と笑われてしまった。
〝彼〟の存在は誰も知らない様だった。
何度も何度も思い出すけど、思い出すほど俺も歳を取ってきていて涙もろくなるらしい。

〝一緒に来る?〟と聞いたのはあの時の自分が出来た最善だった。
生と死が隣り合わせの極限で焦っていたんだと思う。
もしも違う場面で彼に助けられていたら、もっと話を聞いてあげるとかしたと思う。
少なくとも〝一緒に来る?〟なんて疑問系で聞くなんて事はしなかったはずだ。
〝一緒に行こう〟と言って、手を握って離さず、強く引っ張ってでも〝住人〟の家に一緒に向かったと思う。

いつからいるんですか?
どこから来たんですか?
いつも魚食べてるんですか?
家族はいないんですか?
帰る場所は、ありますか

もう二度と会わないハズなのに聞きたいことは年々増えていく。
あんな極寒の地で過ごしてるんだと思っては胸が苦しくなる。

あの地にずっと住んでる観測のプロかもしれないし、俺が心配するような事は何ひとつ無いかもしれないのに不安になる。
〝一緒に来る?!〟と疑問系でしか誘えなかったあの頃の自分。
少なくともあの時の自分に出来る〝勇気〟を最大限振り絞った一言だったけど、今なら解る。

疑問系でしか言えなかった自分は、弱かったんだ。
助けて貰ったくせに、正体のわからない存在に勝手に怯えて壁を作ってた。

貰った小石は転んだタイミングで落としてしまったらしく、ポケットをひっくり返しても出てこなかった。

分厚いモコモコのダウンでフードをしっかり被ってるおかげで、頭の半分も見えない表情。
朝日に照らされ笑った皺が陰を作る優しい目尻は今も鮮やかに覚えてる。

白い氷河と黄色い朝日と強い日差しで作られた陰は、オーロラよりも鮮明に記憶に残っている。

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12月14日は南極の日!南極の日をテーマに書いたフラッシュ・フィクション。毎日『今日は何の日?』をテーマにショートショート書いています。--