365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

誰かが誉められてるのを聞くと自分が誉められてるような気がして嬉しい

つい先ほどまでの出来事、カフェに居ました。

年末の朝のカフェは空いてるんだなぁ。一応都内、都内の中でも田舎の部類、駅直結にあるカフェ。

都内だからか、年末はみんな田舎に帰っているのでしょうか。

普段ならおじいちゃんおばあちゃんが占領している朝のカフェ。

そういえば夜のスーパーは買い物かご一杯に商品を詰め込んだカートを引いて、レジに並んでるおじいちゃんおばあちゃんが多かった事を思い出した。

孫や親戚が家に居るから、いつものように外へ出掛けてはないのかもしれない。お年寄りの一大行事か。

一方私はと言うと、実家がそこそこ田舎なので帰る家はあるけど年末はいつも帰らない。

年末は新幹線が帰省ラッシュを迎えて大変混雑するので、毎回見送っている。規制するなら年始。

朝のカフェで、孫を連れてきた娘と一緒にカフェに来た人が隣に座った。

母親が子供へ投げかける言葉は時にぞんざいで、時に温かくて、時に優しく、時に厳しい。

20分も居なかっただろうけど、短い間に沢山の感情が伝わってきた。

お母さんの注意する声、おばあちゃんの優しい声、子供の楽しそうな声、お母さんとおばあちゃんの世間話に、注目して貰おうとする子供の呼びかけ。

細かい言葉使いだったり感情だったりを私は結構受け取ってしまうタイプなので、他人なのに、いちいち心のがぶれたりもする。

帰り際、なんということでは無いのだけれど、おばあちゃんが子供を誉めた。

『とってもよい子だねぇ』

別に私が誉められた訳では無いのだけど、なんだかずいぶん誇らしい気持ちになった。

そうでしょ、わたし、よい子でしょ。

『よい子だね』という誉め言葉は、あまり良いことではないと思う。

良い子だね、と言われることに慣れてしまうと、『良い子』を目指して居きるようになってしまうから。

そう解っていてもわたしは、やっぱり『良い子』が好きだし、良い子になりたいのだなと思った。

今はもう、『良い子』を目指さないようにしているんだけど。

誉められるとき、『良い子だね』は果たして本当に誉めているんだろうか

そんな風に疑問に思った。ギリギリのモーニング。

おわり

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