365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

自分と意見が違う時どうする?

私は場の空気を乱すことがニガテだ。
例えば誰かと意見が違ったときに、違うと伝えられない。
伝えると喧嘩になってしまうと思うからだ。

人と意見が違った時、今までの私は、自分の意見をわざわざ話さず、相手の意見を尊重することで関係を築いて来た。

つまり、ハッキリと自分の意見は言わずに、なるほどとかそうなんだねとか相槌を打ってやり過ごして来た。

しかしそうやって築いた関係は、やはりどこまでもそうやって続けていくしかない。

私は自分の意見を伝える事ができず、相手もまさか意見が違うとは思っておらず。そうして築いた関係には、もはやそこに私という人物は居ない。
そして息苦しくなって来た頃、自分の思いを打ち開けると

『考え方が似てると思ってたのに』
『そんな風に感じてたなんて知らなかった』
『どうしてもっと早く言ってくれなかったの?』
『ずっと私を騙してたの?』
『嘘つき』
『裏切られた』

時すでに遅し。
いつのまにか相手の中に『私が思うあなた』像が出来てしまっている後なので、非難を受ける事になる。

そうなった時、わたしは、
『裏切った訳ではない』
『わたしの意見を聞かなかったじゃない』
『聞こうとしなかったじゃない』
『頷いて欲しがったじゃない』
などと弁明したりするのだが、
そもそも失望させてしまった事に対してわたし自身ガッカリするし、
相手の希望通りじゃない自分がやるせなく感じるし、
居心地の良い相手を全う出来ない事に悔しさを感じるし、
そもそも私も傷ついて、
そこから逃げ出してしまう。

なんなら、『ようやく相手から逃げられる』とさえ思ってしまう。

そもそも人間は皆同じ考えな訳が無いから違って当たり前なのだが、どうも『私は違う』と主張出来ない。

他の人と異なる考えを受け入れてもらえる気がしない。

私の意見なんてどうでも良いと思ってしまう。
私が意見を言わない事で場が和やかに済むならそれが良いと思ってしまう。

★理解してもらおうと努力しない事は悪か?
例えば自分が言ってることを相手が理解してくれないとして、相手が納得しない場合もあるだろう。

そんな時どうするか?

一生納得しないだろうと気がついても、相手に伝えようと努力するのが良いのか
それとも、相手の理解の範疇を越えていると思っても、何度も伝える事が良いのか。

私はなんでもすぐに『良い・悪い』で物事を考えてしまうクセがある。

物事はなんでも『良い・悪い』では無い。

世間は全てが善悪で分類されてる訳じゃ無い。

誰かにとっての善は誰かにとって悪である場合がある。

それは全くなんの矛盾も無く、あり得るのだ。

何でもすぐに『良い・悪い』で考えてしまうのは辞めよう。

そこにあるのは、自分の感情。

自分の感情を表すことは悪じゃない。

『良い・悪い』では無く、自分がどうしたいか。

相手のせいにして逃げるのは辞めよう。

すべては、自分で決めた事。

おわり

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