365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

私の中から発掘した、私の言葉

題目のような事について、書きたくなった。
だけどこれを表現するのはとても難しい。

それでも、私は誰かにそれを伝えたくなったので、書いてみる。

灰の中のダイヤモンド

ブログを書くようになって、私は私と向き合うようになった。

自分自身と向き合う手段の1つとして、ブログがあった、とも言える。

『自分自身と向き合う』と言う作業は、自分の中にある、数少ない『本物』を採掘する作業のような気がする。

灰だらけの中にあるニセモノたち、その中にある数少ない本物のダイヤモンド。

……なーんて、かなり乙女チックだが、これはももいろクローバーZの『灰とダイヤモンド』という曲の歌詞を思い出したので、ちょっと被らせてみたのだ。

さて、自分の中から発掘した本物の言葉は、私にとって『ダイヤモンド』なんて美しいものでは無い。

どちらかと言えば化石のようなイメージ。

もう何年も前の、何世代も過去のナニカを採掘し掘り当てたような感覚。

一見すると、それが化石なのかどうかすら解らないような、ゴミのようなものに見えるナニカ。

昔から知っていたような気もするし、初めて見たような気もする。

自分と向き合うと、勇気が湧いてくる。

自分自身を見つめなおし、懸命に自分自身と向き合い、ようやく見えてきたモノがある。

向き合う方法は、いたって簡単。
自分自身を分析するのだ。

自分が好きなもの、嫌いなもの、自分の感情。

なぜ好きなのか?どんなところが好きなのか?何のためにそれが欲しいのか?欲求からなのか、劣等感からなのか、本当にそれが欲しいのか?

本当に欲しいものは自信では無いのか?
本当に欲しいのは自慢できる見栄では無いのか?

寂しさを誤魔化すために必要なのではないか?

そんな風にどんどん掘り下げて、自分の感情に素直になり、本当に欲しいものを探す。

 

そしてようやく探し当てた、『根本』。

根本を探り当てる頃には、きっと自分でそのことを『受け入れる』勇気が付いているかと思う。

カッコ悪くても、ダサくても、汚くても、意地悪でも、私の中にあった紛れもない本物

その汚い部分から目を逸らさずに、しっかりと見て、受け止めて、受け入れて、『こうゆう部分があるのだ』と頷く。

そして、根本の原因も考える。

なぜ汚くなってしまったのか?いつから怖いと思っていたのか?どんな出来事があったのか?

その出来事に、私は傷ついていたんだ、という事実。

大変だったね、つらかったね、と理解してあげる。

だから虚勢を張って生きてきたんだね。

目を逸らさなきゃ、潰れてしまいそうだったんだね。

恐ろしくなって逃げてきたんだね。

根本の原因まで分析できたら、今度は不思議と勇気が湧いてくる。

いや、勇気じゃない、これは自信なのかもしれない。

誰かに伝える

自分が見つけた根本それから原因のことを、今度は誰かに伝えたくなる。

伝えたくて、懸命に紡いだ言葉を一生懸命、本気で伝えようとする。出来るだけ嘘をつかずに、素直に、弱い部分をさらけだしながら、それでも伝えようと頑張る。

その、一生懸命伝えようと使った言葉たちは、紛れもなく、自分から出てきた表現。

それって、すごく大切なものだなぁと思いました。

誰かのうけうりじゃない、だれかが使ってた言葉とも違う、『自分の中にあった本物の意思』

自分が辿り着いたその言葉は、もしかすると誰かの名言と似てるかもしれない。

芸能人のだれかが使ってた言葉と同じかもしれない。

もしかすると、母親が言ってた言葉そのままかもしれない。

でも、自分の中から探し当てた根本と、それを伝えたくて紡いだ『本物の言葉』は、自分にとっては全く別格の意味を持つ

 

化石のような姿形をしたソレは、誰よりも自分自身に光り輝いて見えるタカラモノで、自信に満ちて、鈍くしっかりと光る。

その光はガラスのようなキラキラした美しさでは無い。

床に落ちたら割れてしまいそうな繊細な儚さじゃない。

ずんぐりと丸く、しっかりとしたカタチをしていて、ちょっとやそっとでは揺るがない、押しても引いてもビクともしない、そんな存在。

誰かの言葉があまりに入り込んできて、自分のことを言われてるようで苦しい。

意見は、似せないとダメなんだと思ってた。
同じ意見を言わないと敵にされると思ってた。

ちょっと話は逸れるが、これも伝えたいので書いてしまおうと思う。

同調圧力の話だ。

日本では同調圧力がとても強い。

『あの子の服、可愛いよね〜!』と言った子に同調しないといけないような無言の圧力。

私は先日『やりたいことリスト100』で『人の悪口を言わない』『誰かの悪口に同意しない』という旨の件を挙げた。

 

脳は、主語を認識出来ないらしい。

それが本当かどうかは解らない。

いや、一応、脳科学でそう分析?されてるらしいので、本当なんだろう。

しかし、なぜか私は、そんな訳ないと信じていた。

だけど、本当は解っていたのかもしれない。

小学生の頃、よく悪口を聞かせられた。

その悪口はどれも私にも当てはまりそうで、悪口を聞くたび『いや、ごめん、私もそうゆうところあるわ』と謝っていた。

友人は、『全然違うよー!あの子の話で、あなたは良いの!!』と言っていた。

 

その時私は『そうなのかなぁ』と思いながら、しかし何度もそれを繰り返すもんだから、『そうゆうものなんだな』と理解した。

そして、『そうなんだぁ』と相槌を打つようになっていった。

そして、いつのまにか、私の中の私は、たくさん虐められていたのかもしれない。

『赤ちゃんカワイイ!』と言う友人に同調しないと『赤ちゃんカワイイって思わないの?変なの!変わってる〜!おかしいんじゃない?!』と非難される気がした。

『アイツいっつも変な服ばっか着てるんだよ〜臭そうだよね〜!』という、事実と想像が混ざった非難。

同意しないとたちまち『お前もヘンだ!!』と烙印を押されて、翌日からは自分が対象にイジメが始まるかもしれない恐怖。

 

私自身は、虐めを受けていた事はない。

いや、もしかすると受けていたのかもしれないが(笑)、私は私で私の好きなことを好きなように発言したかったから、あんまり沢山の人とは一緒に過ごしてなかった。

仲が良いのは大抵ひとりかふたりで、その子とだけ密に会話を重ねていた。

かと言って他人を貶すことも好きではなかったし、自分に嘘をついてまで人と合わせたくなかった。

いつからか『女の子らしい』ものを捨て、『男の子っぽく』振舞う事で、クラスメートの女の子達とは違うポジションを目指していた。

同調しなくても怒られない、同じ意見を言わなくても『おまえは敵だ』と言われない、『変わってる』『おかしい』と言われない、そんなポジションを目指した。

 

標的にされないようにしていた。
目立たないようにしていた。
『女らしくなんてありませんよ』と女の子にアピールしていた。

私が今も『女らしく無い』のは、ターゲットにされるのが怖いからだと思う。

狙われたくも無いし、争いたくも無い。

面倒だし怖いし、どうせ負けちゃうし、勝つためには誰かを負けさせないといけないし。

誰かを負かすのは私には重荷だ。

『おまえの負けだ!』と指をさし土下座させて降伏させるなんて、私にとってはダサい。

偉そうなフリも勝ったアピールもカッコ悪い。

相手を傷つける勇気なんて私には無い。

戦わなきゃいけないくらいなら、両手を上げて最初から降伏する。

『みんな違ってみんな良い』で良いじゃないか。

なんでそんなに争うの?どうして比較しようとするの?
なぜ勝ちたがるのか解らない。

勝って誰かを降伏させても、自信なんて手に入らない。

自信は自分の中にしか無い。

誰かに勝ったって身につかない。

私はそう思う。

同じじゃなくても、手を繋いで歩ける

だんだん話が逸れてきてしまった。

私が言いたいのは、戦わなくたって良いじゃないってこと。

『意見が違くても、良いじゃない』ってこと。

日本は、とかく『議論がこわい』人種だと思う。

無理矢理にでも議論したがるのはそれはそれでどうかなーと思うが、日本ではどうも『議論イコール敵』と言うスタンスが主流だと思う。

反対意見=敵
なのか?

同意しない=戦争
なのか?

同意しなくたって良いじゃない。
意見が違くたって良いじゃない。

賛成しなくたって、手を繋いで歩いて行こうよ。

賛成しないからって、手を振り切って逃げ出さなくても良いでしょ?

意見が違うからって、無理矢理捩じ伏せて同意させたくなって良いじゃない。

意見が違うからって、虐めなくたって良いじゃない。

意見が合わないからって敵だなんて私は思わない。

だけどその考え方は、お互いそう思ってないと成り立たない。

 

私の中から発掘した、私の言葉は大切なタカラモノで、私にとってキラキラ輝く『想い』。

だけど、私の言葉に同意しなくても良いんだよ。

私のやり方を真似ようとしなくて良いんだよ。

私とひとつになろうなんて思わないで。

それより私は、あなたが見つけた、あなただけのタカラモノの言葉を聞きたい。

他人なんて関係無い。

わたしはわたしと、あなたはあなた自身と向き合って。

誰かの言葉に同意することがコミュニケーションの全てじゃ無い。

誰かの言葉が刺さって痛くなるほど、自分の事を言われてるんだと思わなくて良い。

私は、私の中にある私自身の言葉を紡いでいきたいと思った。

おわり。

 

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