365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

正義はそんなに偉いのかよ!

正義はそんなに偉いのかよ!

正義にうるさい人

正義にうるさい人がいる。

他人のミスにキツい人がいる。

まるで親の敵でも取ったかのように喜び、批判する人をよく見かける。

とくにSNSの世界でよく見かける。

私は昔、大学生が苦手だった。

ウェイウェイな空気感がある!と勝手に思い込んでいたし、私自身が大学に行った事がないから劣等感もあったと思うし、時間にルーズな人が多いと思ってたからだ。

大人になった今、大学生の視野は広いなぁと思う。

・・・まあ、別に大学に限った話ではないのだが、比較しやすい気がしたので、話題に出してしまった。

なぜそう思うのか、大学というキーワードが伝えやすいので、そのまま使って説明してみる。

大学とは、大勢の人がいる場所


結局はこれに尽きる。

色んな人が居て、色んな人に出会う、だから、『そうゆう人もいるよね~』と相手を享受出来るのだと思う。

良くも悪くも、合うも合わないも関係なしに、一緒に過ごさなくてはいけない。

協調性を大事にする人もいれば、単独で過ごす人もいる。
サークルに精を出す人もいれば、学校外での活動に勤しむモノもいる。

宗教に熱心な人もいれば、ビジネスを始める人も居る。

享受出来ると言うと大袈裟だと思うが、『受け流す』という技術を身につけるのでは無いだろうか。

例えば口論になったとしても、『口論する=仲が悪い』では無い時もある。

日本は特にその傾向が強いと思う。

口論=敵 となりやすい。必ずしもそうでは無いのに。

視野を広く!盲目的に依存するのは辞めよう!!


とくに最近私は思う。

正義を盲目的に信じる人が多い。

正義ならば何を言っても良いのか?

本当に、本人がその正義を信じているのなら良い。

だけど、『正義を振りかざして』誰かを叩くための道具のように扱ってる人が多いと思う。

その人にとっての正義はソレかもしれない。だけど、だからと言って誰かを批判したり傷つけて良いというワケでは無い。

SNSがコミュニケーションとして成り立つ昨今。顔も見たことが無い他人と会話が出来る現代。

少しでも事実と違うことを言えば批判し、正そうとする。

『相手のために』と言う人は多い。

だけど、大半は自分の為に言いたいだけなんじゃないかと思う。

『自分が許せないから』
『見て見ぬ振りが出来ないから』
『嘘を吐かれてムカついたから』
『真実だと思って勘違いし傷つけられたから』

それは確かにそうなのかもしれない。

だから、誰かに批判され注意されたとしても、そこまで落ち込む必要は無いと思う。

落ち込んで傷つけば傷ついた程、今度は誰かにソレを強要するようになると思う。

現代の魔女狩り。

ルールが変われば正義が変わる


ちょっと規模が大きい話になるが、今日は書いてみようと思う。

私は昔から、『ルールは誰が作ったのかな』と時々疑問に思っていた。

ルールと言っても色々あるが、私が考えるルールは例えば『刑罰・刑法』。

例えば人を殺した場合。例えば万引き、例えば詐欺。

そう言った類いは解りやすいと思う。

自分がされたくない事はしちゃいけない。相手の為にしちゃいけない。自分のためにしちゃいけない。

しかし、『なぜゴミを捨てちゃいけないのか?』
『なぜ人のものをマネしてはいけないのか?』
『なぜ虫は殺しても良いのか?』

こんなルールになってくると、よく分らなくなってくると思う。

虫は殺してはいけない、というけど、『生類憐れみの令』というルールが昔、あったことを知っているだろうか?

『生類』それは、動物である犬、猫、鳥、魚類、貝類、昆虫類などにまで及んだ。

それがなぜ現代まで続かなかったのか?

誰しも思いつくと思うが、『そんなのやってたらキリがないじゃん』と考えるのでは無いだろうか。

つまり、刑罰、刑法というのは、いつの時代も、人間の都合の良いように作られている。

人間が作った人間のためのルールだから当たり前だ。

・・・ちょっと脱線してしまった。話を戻す。

ルールに依存するのでは無く、自分の人生を見つけよう。


つまり、ルールというのは、いつの時代も人間が作り、守っているのだ。

それが悪い事だと言いたいワケでは無い。秩序を守るために、過ごしやすい世界を作るために、ルールを守る事は大切だと思う。

だけど、ほんの少し先の未来では、ルールがガラリと変わる可能性だってある。

それは、もしかすると殺人が無効になる世界かもしれないし、生き物である全ての命を尊ぶ世界かもしれない。

ルールを盲信している人は、結局のところルールに依存していて、自分の考えや行動が出来ない人なのだと思う。

そんな風に生きて行くと、いつか自分の生き方にガッカリする時が来るのかもしれない。

だから、ルールに則って生きる事が『正解』なワケではないと言いたい。

『あの人がダメだって言ったから』とか『上司に怒られるから』とか『母親が嫌がるから』なんて理由で自分の人生の歯止めを掛けるのはやめよう。

今までそうやって生きてきた私は、最近そんな事を考えるのだ。

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