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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

東京事変『閃光少女』に見る一瞬の輝きについて【感想・考察】

先日友人と東京事変の曲『閃光少女』の話をした。

物語を考える時に、音楽からインスピレーションを得て書くことがある。

『お祝い』をテーマで物語を書きたいと思っていたのだが、いつのものようにyoutubeで音楽を探していた時、東京事変の『閃光少女』が目に留まった。

そもそも椎名林檎が関わっている音楽が好きだ。
いわゆるライトユーザー、ひとによっては『そんなの好きって言わない』と言えるレベルだろう。
語るには知識が全く足りないだろうが、好きの形はそれぞれなので、ここでは重視せず書いていく。

椎名林檎が関わっている音楽の中でも『閃光少女』は特に好きだ。最近はオフィシャルアカウントでyoutubeにPVが公開されているのでとてもありがたい。パソコンに向かっていても簡単にアクセス出来て、ほぼ手間無く見ることが出来る。

youtubeでは履歴からオススメなどが表示される仕様になっているので、そもそも過去に見たモノは表示されやすい。

何度も見たPVを今回も見た。

女性二人が薄暗い体育館に佇む。

薄暗いのは恐らく、そういった加工をしてるからだ。ふっと光が入ってきたような瞬間がある。きっと撮影日の天候は快晴だ。

ひとりは学生服の女性、もうひとりは私服の女性。どちらも年齢は同じくらい。恐らく友人。

『閃光少女』というタイトルにはそぐわない薄暗い色味のまま動画は進む。全体のイメージとしては暗い、しかし時々映る一瞬の閃光のような加工が印象的。

体育館中央に向かい合う女性二人。振り向いてお互い逆方向へと走り出す。

動画の終盤、私服の女性は走り出したまま止まらず体育館の外へと飛び出す。まっすぐな眼差しは遠くを見ている。過去の回想が溢れ出してスピードを上げる女性、バレエのジャンプ、そして着地を待たずして一瞬の閃光を放ち女性は消える。

体育館に残されたもう一人の女性がスピードを落とし、何かに気がついたように振り返る。一瞬映る回想はセピア色、屋上で呆然と立ちすくむ学生服の女性。現実の体育館にいる学生服の女性は視線を下げる。

イラストとして表現された私服の女性が実写と同じく走る、上がるスピード、女性をかたどる線が光る。そして一瞬の閃光、暗闇、散っていく光。キラキラと弾け散る。

体育館に残された学生服の女性が視線を上げて一歩を踏み出す。ボヤけた光が何重にもダブり時空がブレて暗転。

youtubeの表記では2分59秒。

______________

この動画を見て私が最初に思ったのは『自殺する女性』だった。かなり短絡的な言い回しになるかもしれないがそう思った。

止められなかった友人の学生と、学校に来なくなってしまった私服の女性。私服の女性は一瞬の閃光を残し、世界へと飛び立つ。

動画の中では自殺が表現されているようで、それでいて『自殺はダメだよ』というメッセージに思えた。

当初『お祝い』をテーマで物語を書きたいと思っていたのだが、この『閃光少女』がピッタリに思えた。しかし表現の仕方や受け取る人によっては『不謹慎』だと思うかもしれない。

と言うわけで、創作という観点から信頼出来る人に聞いてみた。『お祝いというテーマで物語を書くのに、閃光少女のPVをモチーフにしたいんだけど思う?』と。

特に否定はされなかったので追随して聞いてみる。『そもそもこのPVは自殺しちゃダメだよってメッセージに思えるんだけど、どう思う?』と。

その人の見解としては、どちらかと言うと『死ぬ気でやれ』という印象を受けていたそうだ。

『死んででも良いからやりたい事を願う瞬間ってあるよな』というメッセージだと思う、と言う。

それを聞いて、『ああそうゆう受取り方があったのか』と目からウロコだった。

そして『自殺はダメだよ』と『死ぬ気でやれ』の二つを照らし合わせ反芻して、『感じた事は同じなのかもしれない』と思った。

・・・恐らく。私とその人の間の中で感じていた事は、言葉こそ違えど、ほぼ同じなのかもしれない。

『生と死』という漠然とした印象を受けながら、決してネガティブではなく明るい印象。
そう言った意味で、ほぼ同じだったのかもしれないと思った。

ただ、世間には色んな人がいて、言葉を言葉通りにしか捉えない人も居る。

例えば『お前なんか嫌いだ!』と暴言を吐く人が『本当はもっと知りたい』と深層心理では思ってたりする訳で、だけど『嫌いって言うからには本当に嫌われてるんだ』と受け取る人もいる訳で。

『死ぬ気でやれ』と『死なない程度に頑張れ』は全く違う意味なんだけど、相手によっては『死なない程度に頑張れ』と伝えないと本当に『死ぬまで』やってしまう人もいる。

そもそもこの楽曲は、私の記憶ではカメラのCMに使われていた。

『切り取ってよ、一瞬の光を』という歌詞がカメラのフラッシュを彷彿とさせる。

『写真機はいらないわ』と言いながら『それでも一瞬を切り取れるのはカメラしか無い』わけで、何と言うか矛盾したふたつのことを同時に説得させると思う。

相対性理論、って言葉を本当の意味で私は理解してないんだけど、でも言葉で表現するなら『相対性理論だな』っていつも勝手に思っている。

影と光みたいな相対する存在。

光が無ければ、そもそも影も現れない。

負けるひとがいなければ勝つ人もいないのだ。

・・・そんなこんなで、『お祝い』というテーマでいながら、『閃光少女』を内なるテーマにしつつ物語を書こうと決めた。

やっぱりピッタリだと思ったから。

・・・という訳で、今月誕生日を迎える人、おめでとう。

またとないいのちを使って、今を閃いて下さい。

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