365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

文章量が多いことは果たして良い事か?

人に正しく伝わるように解りやすい文章を目指すと、どんどん文字数が増えて行く。

なぜなら論文や証明みたいになっていくから。

Aが良いと伝えるために、

何故それが良いと思うのか?

何故そうしようと思うのか?

どんな時に良いのか?

他の方法との違いは?

その方法が良いという証拠は?

そんなふうにどんどん文字数が増えていく。

しかもこれを、出来るだけ解りやすい様にと整えていくと、もっと大変だ。

そもそもWEB上。

相手がどんな人なのかも解らない。

日本語が通じるのか。

性別は?

年齢は?

宗教は?

価値観は?

無差別に沢山の人へ向けて書く文章は、それはそれは気をつけないと、正しく伝わらない。

出来るだけ正しく伝えたくて、例え話をまぜながら書いていく。

と、文字数はどんどん増えていく。

そしてふと立ち返り見直してみると、

おやおや、蛇足が多かったりする。

例え話を入れない方が、解りやすかったりもする。

文字数が多いという事は良いコトなのだろうか?

もちろん、そんなわけがない。

文字数だけで決められるなら、どうでも良いことを延々と連ねていくさ。

昔、無駄に長い作文を書いて、先生に提出してた時期がある。

感想文を書く授業だったが、ある時友人が、『私なんて○枚かいたよ!』と自慢してきた。

それが、私に火を付けたのだ。笑

最初相手の文章を読んだとき、確かに枚数は多かった。

しかし内容を読むと無駄にダラダラ。どうでも良い内容が突然入って来たり、説明しなくても良いような言葉をわざわざ説明していたり。

『そんなふうに長く書くだけなら私だって出来る!』

結局、相手との勝敗がどうなったのか覚えて無いが、最後には『文章量だけで競うなんてナンセンス。』という事に気がついた、ような気がする。笑(*当時は『ナンセンス』なんて単語は知らなかったので、ただの意訳。)(そんな知識豊富な子供でもなかった。笑)

文字数が多いことは果たして良い事か?

いやいや。

『文章量だけで競うなんて、ナンセンス。』

子供ながらに、意外と本質は解ってたような気がする。

今後も物事の本質を見てやっていきたい、と思った。

おわり!

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