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愛のひだりがわ・筒井康隆/レビュー

※このレビューはネタバレを含みます。ネタバレを見たくない方は、ブラウザバック!


先日、筒井康隆の『愛のひだりがわ』を古本屋で買った。

そして、先程読み終わりました。

『月岡愛』という少女が父を探しながら成長していく話です。

感想というかレビュー?を書いてみようと思います。


序章…わたしのはなし

私はあまり本を読みません。本、というのは文章、小説のことです。

とある人の分析によると、スマホやインターネットが盛んな現代は、昔よりも文字を読んでいるという話もあるそうです。

考えてみると確かに、私は検索魔で頻繁に気になった単語を調べています。

ツイッターなどのSNSやブログやニュースサイトなど、昔と比べると頻繁に文字を読んでいるのかもしれません。

そうして、いつの間にか文字に慣れ親しんでいたのかもしれません。

元々国語の成績は良く、教科書を読むのも嫌いではなかったなぁ、と思い出しました。

私は二十半ばくらいから趣味で文章を書いていて、最初は小学生の詩のような羅列から始まり、気づけば7年経つようです。

毎日勉強し鍛錬してれば今ごろ立派な小説家にでもなったでしょうが、ただの趣味で仕事もしていたし、まさか自分が『物書きになろう』と思う日が来るなんて思ってもなかったので、いまだ趣味の範囲を越えません。

で、『物書きになろう』と思った時、やはり『読むべき』という意見が多いので、苦手ながらやってみようと思いました。

そもそも本をあまり読まない大きな理由に、『面白くない』というものがありました。

そして、『自分が面白いと思える本に出会うのが大変』という理由があります。

今回、『筒井康隆』は、私の尊敬する人からオススメしてもらったので読んでみました。

感想

読み始めて数ページ、その時には既に『物語に引き込まれていた』んだと思います。

それは『すっごい読みたい!』という欲のようなものでは無く、気づくと習慣のひとつのようなものになっていて、吸い寄せられるようにページをめくりました。

以降ネタバレを含みますので、読みたくない人はそっ閉じでおねがいします。

読み終えて、ジンワリと目が潤みました。

コレと言って、衝撃的な出来事が起きたわけではありません。

表現するならば『失った』訳ですが、それは『子供が大人になった』という事なのだと思います。

離れ離れで居ながらも愛と共に成長していくサトルという少年がいるんですが、彼は愛より一足先に大人になります。

綺麗な青色をした髪の毛をした少年は、恋愛をして愛よりも先に大人になり、青い髪はどんどん暗くなり、紺色になります。
この先、完全な黒色になるのかもしれません。

愛はというと『犬語を話せる』能力があったのですが、一番最後、その能力を失い、物語は終わります。

それは『子供じゃ無くなった』つまり『大人になった』という表現なのだと思います。

何となく涙が出そうになったのは、心のどこかで『大人になりたくない』とわたしが思ってるからかもしれません。

私にとっては絶望的なラストでした。

しかし、それは必要な事なのだとも、心のどこかで解っている気もします。

愛ちゃんの性格

愛ちゃんは怒りの感情が強い女の子です。

ずっと抑圧された人生を送ってきたから、余計にそれが強いのだと思います。

どうしても許せない出来事が起こった時、金属バットで人を殴ってしまいます。

最初は怒りに任せて、先のことを考えずに向こう見ずでバットで殴ってしまう。

わたしには到底出来ない事なので、『勇気があるなぁ』と私は尊敬さえしてしまうのですが。

しかしやはり報復には報復が帰ってきたりして、結局のところ『良くない』と愛ちゃんは理解します。

そうして少しずつ学んでいき成長していく物語です。

そんな破天荒で感情表現豊かで、一生懸命生きる愛ちゃんの性格は魅力的で、気づけば愛ちゃんの左側にはいつも誰か、守ってくれる存在がいます。

時にはその存在が犬で、時には死んだ母の亡霊で、時には、道中出会ったおじいさんで……。

そして、ラストでは愛ちゃんは『犬語』が話せなくなってしまう。

『愛の左側』のこれから

この物語の続きを想像してみます。

多分、この物語の未来については、一番読者の本質?が見えるものなのだろうなと感じました。

『犬語』を話せなくなってしまった愛ちゃんの左側には、きっともう犬は来ない。

『犬語が話せなくなった』のはきっかけに過ぎません。

それは『大人になる』第一歩なのだと思いました。

成長した愛ちゃんは、以前と同じようにもうおじいさんと一緒には寝れません。

他の女の子と幸せになったサトルとは、もう毎日電話はしないでしょう。

この話の続きを想像した時、愛ちゃんの左側には、誰も居なくなるのかな、と思いました。

それは物理的な意味ではなく、精神的な意味です。

例えばこれから愛ちゃんが誰かと恋愛して結婚して旦那さんが左側にいたとしても、それは物理的なものであって、精神的には『左側には誰もいない』つまり『自立した』という意味なのだと思いました。

それは悲しい事ではなくて

誰しもそうなるのが『大人になる』という事なんじゃないかな、と思いました。

今私は『自分と向き合う』ことをしていて、『自立』というものをとても良く考えています。

だからこそ、きっとそんな意味に捉えたんだなぁと思います。

読む人によって、それぞれの未来がありそうです。

おわり。

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