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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

世間は『どうしようもない大人』を見せてはくれない

「○○ちゃん、見ちゃダメよ」

って言う表現は最近通じるんだろうか?

くだらないバカみたいなテレビ番組って最近やってない。

昔はいっぱいあったんだけど。

クレヨンしんちゃんなんて、テレビで始まった当初はPTAや学校の先生から「子供には見せないで下さい」というお達しがあった。

上からタライが落ちて来て、あっはっは!なんて笑うテレビ番組も最近は無い。ドリフって言うんだけど。

アレもアレで、見ようによってはイジメに捉える人もいる。

昔は沢山のダメな大人達が目に付く範囲に存在した。

テレビとか、近所に住む人とか、実は文豪とか、結構なトンデモエピソードがあったりする。

ダメな大人が目に見えないから、皆が『真面目に生きてる』ように見えるのかもしれない。

ホントは沢山いるんだけど、最近はうるさい人が多いから、隠れるのがウマくなった。隠れるようになった。

別に文豪なんてたった一握りな訳で、どうしようもない、何にもなってない大人なんていくらでも居る。

変な大人の存在がそんなに珍しくなかったから、『アイツよりはマシか』なんて笑えたりもした。

最近は変な大人が少ないから、『もっとちゃんとしなきゃ、もっとちゃんとしなきゃ』と、自分がどんどんダメな人間のような気になる。

最近は変な大人が少ないから、『あんな変な大人にはなりたくない。あんなバカみたいな人になりたくない。』っていつの間にか、心のどこかで見下してる。

変な大人なんてホントは沢山いる。大人はみんな無責任だ。

だけど、無責任だと子供に示しが付かないし、言うことを聞かなくなったら困る。だからまるで『私はしっかりしてる大人です』という態度をしている。

『自分よりもマトモな人になってほしい』という期待もある。

大人は大人なりに、『俺のように、なるなよ!』と心の中で懺悔してる。

世間は『どうしようもない大人』を見せてはくれない。

でも実際は『どうしようもない大人』だらけだ。

おわり。

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