365文

365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

オチの有無では無く『感じる』文章を目指して

ショート・ショートで有名なのが星新一。

勿論わたしも呼んだことがある。

そんな星新一の作風からだろうか、ショートショートには毎回『オチ』があることが普通だとされている。

さて、ショートショートと意味は同じ所の、フラッシュフィクション。

私は私の思うところの『フラッシュフィクション』を綴っている。

それはカメラのフラッシュのように一瞬を切り取る文章。

説明や設定やオチを必要としない、瞬間を切り取るだけの文章。

そういったものがあっても良いのでは無いか?と私は思う。

一瞬を切り取るのに適しているのはカメラだ。

余談だが私はカメラも好きだ。写真を撮るのが好きだ。その一瞬にしか取れない何か。

そこには答えや説明や設定など何にも無い。

ただ感じるだけのコンテンツ。

私が目指すフラッシュフィクションとはそういったもの。

一瞬を切り取ったって、文章ならば沢山のことを表現することが出来る。

暗闇の中で瞬間的に隙間から漏れた朝日。ふと視線を巡らせた瞬間に映り込んだ映像。窓の近くにはドライフラワーと化した蝋梅が残る。
咲きかけの黄色い花も開ききったそれもまだつぼみのままのソレも一緒くたにのこっている。

文章ならば、そこにうつってないモノさえも伝えることができる。

朝食に食べようと焼いたパン。チン!トースターの焼き上がった音が響く。2.5分は時間にして少し長いか、ほんのすこし焦げ臭い匂いが流れてきた。日曜、朝の八時半。

オチも何もない文章は面白くないのだろうか?文章にはすべて答えが記されていないといけないのだろうか。

私はもっと自由に文章を書いてみたい。
個人個人の思い出を呼び起こすみたいな、本人の中にある記憶から映像を創り出すみたいな、そんな言葉を。

誰もが同じ映像を見ることを良しとするのではなく、それぞれの中にある『あの日部活帰りに見た赤やけの夕日』そんな映像を見て欲しい。

それぞれの中にある『綺麗な映像』が浮かべばそれで良い。

空白を楽しむ、映像のような文章。

それが私の目指す『フラッシュフィクション』だ。

---スポンサーサーチ---

 

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2024 365文

テーマの著者 Anders Norén