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365日ぶんの、フラッシュ・フィクションたち。

『わからない』は疎遠される/『わかりやすい』は優しい

『わからない』は疎遠される。

みんなわかりやすい物がすきだ。

みんな知ってるものがすきだ。

みんな経験したことがあるものが好きだ。

なぜなら、知ってるから。

解ってるから。

怖くないから。

対応の仕方を知ってるから。

みんな『わからないもの』は嫌いだ。

一方、みんな『わからないもの』は嫌いだ。

見た事のないものは面倒だ。

知る事って大変なんだ。

理解するって難しいんだ。

だから、『解らない』ものはみんな嫌いだ。

わからないものは怖いから。

わからないものは、どう対処したら良いか考えなくちゃいけないから。

正解を自分で見つけに行かないといけないから。

億劫だから。

失敗する可能性があるから。

『わかりやすい』は『優しい』?

わからないものは嫌い。解るものはみんな好き。

そうなると、じゃあ『解る』って正義なのか?と考える。

解ることは正義なのか。

解らないは、失敗なのか。

みんな、わからないものは怖いし、やりたくないし、逃げ出したい。

だから、わかるものが好きだし、やりたいし、もう一回!って頑張ろうとする。

そう、ほんとは、みんな『解ろうとしてる』ってことだ。

みんな『わかりたい』と思ってる。

みんなが『解りたい、理解したい、知りたい』って思ってるんだから、つまりは

『解りやすい』は優しいってことなんだと思う。

『わからない』を越えるときは苦しい。

わからないってイケナイ事なんだろうか。

最近、そんなことを考える。

『わからない』は確かに難しいし、大変だし、解るまで不愉快だ。

だけど、全ての物事は、最初は『わからない』ハズだったもので。

世紀の大発見とか。

地球は丸いとか。地球は青いとか。

今は当たり前みたいに言われてるけど、最初はみんな納得しなかったわけで。

最初はみんな信じられなかったわけで。

そうゆう『解らない』を越えた時、もしかすると、物凄いエネルギーが発生するのかもしれない、なんて思う。

解らないを越えた時、あたらしい『解る』の発生。新しい何かの始まり。

新しい始まりはみんな怖いしやりたくない。

だけど、やっぱり、新しいものを生み出す時は、なんでも苦しくってシンドイのかもしれない。

そうして一生懸命生み出したものは、ものすごく、愛着が湧くのかも知れない。

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